永田カビに見る・うつという病気についての考察【トラウマ】

うつ病について考える人

なんで人は【うつ病】になってしまうのだろう?
漫画でわかりやすく解説してほしいわ!

こういった人向けの記事です。10分ほどで読める文章量。

この記事を書いてる人・イチロー

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目次

永田カビに見る・うつという病気についての考察【トラウマ】

こんばんは。人生トラウマだらけのPA(舞台音響)のイチローです。

今日は大好きな漫画家・永田カビさんの漫画をもとに【うつという病気】について考察してみたいと思います。

「何故うつ病になるか?」とか「何故うつ病は偏見にあうのか?」みたいな方向で書いていければな、と。

自分は難しい文献を読むと眠くなってしまう特性を持っているため、永田カビさんの漫画を引用して考察を進めていきます。

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うつ病(うつびょう、鬱病、欝病、英語: clinical depression)は、気分障害の一種で、抑うつ気分、意欲・興味・精神活動の低下、焦燥、食欲低下、不眠、持続する悲しみ・不安などを特徴とした精神障害である。

wikipediaより
著:永田カビ
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【うつ】という病気・トラウマと人間関係について

うつ病の人の話を聞いたり、エッセイを読んだり、SNSの投稿を見たりして気付いたことは”うつ病の源泉はトラウマ”であることが多いということ。

しかもそのトラウマのほとんどが”人間関係”であるということ。

(学術的に当たり前なのだとしたら恥ずかしいが僕はSNSを見ていて気が付いた)

そしてそういった当事者たちが皆んな一様におしなべてかけられる言葉がある。

時間が解決してくれるよ

人は江戸の仇を長崎で討つことは出来ないと考える。

復讐・恩返しというものは時間というものの特性上、より”過剰”になるし”際限”がないからだ。

ある時にある人にひどく傷つけられて、地獄の苦しみを味わわせられたのだとしても、

それは”存在してしまった事実”としてそこにあるだけなので、その埋め合わせは到底できようもない。

その時苦しんでいたのは”その時の自分”であり今の自分ではない。

その時傷つけたのは”その時の他者”であり今の他者ではない。

とはいえ理不尽な時間の概念に便宜上の公平さを付け加える形で僕らの世界は回っているから、なかなかこの問題をシンプルに考えることは難しい。

(時効・懲役・罰金・金利・年金・死後報われるはずの世界・涅槃・解脱)

このような問題を扱う時によく言われる”時間が解決する”という、便利で口当たりのいいセリフに着地をしたいわけじゃない。

だって無為に進んだ時間が過去の記憶を清算するのであれば、フラッシュバックなんて起きるはずないでしょ?

フラッシュバック (flashback) とは、強いトラウマ体験(心的外傷)を受けた場合に、後になってその記憶が、突然かつ非常に鮮明に思い出されたり、同様に夢に見たりする現象。心的外傷後ストレス障害(PTSD)や急性ストレス障害の特徴的な症状のうちの1つである。

Wikipediaより

つまりは”存在してしまった事実”に安定した妥当な中間点みたいなものは存在しないと考える。

そういう意味を踏まえて”時間で解決”するのだとしたら、その過ごした時間の中で本人が”存在してしまった事実”を昇華できるような体験をし、自身の価値観を更新するよりほかない。

(もちろん心の平穏と肉体的な休息は確実に必要になる)

だから結局のところ「時間が解決してくれるよ」という言葉は、

「自己責任で頑張って勝手に解決してくれ」という当事者を突き放すような響きを持った言葉なのかもしれない。

これは生きているだけでやっとの当事者からしたら、なかなかに残酷だと感じる。

この残酷さについては、永田カビさんが漫画で表現してくれている。

©️永田カビ/イーストプレス
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そして何故うつ病に対して”人間関係”がこれほどまでに大きく影響するのかという考察と対処法。

あたりまえだけど、人間同士は全部をわかり合うことは出来ない。

個人個人のもつイメージを100㌫の形で言語化することは不可能だし、つまりは言語化されない部分は共同化されない。

昔から人間は言語的コミュニケーションに落とし込むことのできない気持ちを絵や音楽に込めてきた。

だから文化や芸術は廃れなかったし、人々の孤独に寄り添ってもくれた。

(この辺は疾患者の人たちが往々にしてアーティスト気質なことと関係がありそう)

要するに一般社会で生きていこうとすると”現実から遮断されたままの多くの気持ち”と向き合うことになる。

人々が定義した”普通”のコミュニティに存在するためには、表向きの言語的表現の背後にある意味を共同化しなければいけないという、大道芸のような離れ業を際限なく続けていく技術が求められる。

社会において建前でしかない”言葉”は優しく素直な人間を置き去りにして、文字通りの表現を裏切り続ける。

そして文字通り受けとってしまった真面目な人間が気に病んで自殺するし、あるいは反抗して割りを食ったりもする。

これはもう誤解のない言語的なコミュニケーションは諦めて、いま一度”ムーディ勝山”の境地の戻ることが大切なように思う。

受け止めるな。無視するな。受け流せ。

たぶん、そのくらいで、ちょうどいい。

【うつ】という病気の土壌・呪われた教育

次に問題にしたいのはうつ病を育ててしまう土壌、教育について。

もしこれを読んでいる人が小さな子供がいる親ならば、画一性をもった幼稚園や保育園に子供を通わせること自体にすでに違和感を感じている人も少なくないと思う。

身につけるべき社会性の種類は時代とともに変化してきているし、時代変化に臨機応変な教育現場は本当に少ない。

しかも小学校にもなると通わせないことで親は憲法の取り決めさえ犯していることになる。

(つまり親は必要以上のプレッシャーを持って子供を義務教育に送り出すことになる。既存の教育の改善よりもまずは少なすぎる選択肢をどうにかしたい)

この縛りは既存の教育環境が”合わない子”には虐待に等しい。

うつ病を公言している永田カビさん自身も、例に漏れずこの環境にそっくりそのまま当てはまる。

©️永田カビ/イーストプレス

社会における共同幻想とか共通認識は、人々の営みの安定に必要なものなのだろうが、行き過ぎればむしろ呪いのようなものだ。

定義付けされた”幸せ”を押し付けたり、出口のない知識を詰め込んだり、価値のあるものは金・学歴・数字なのだと子供たちに教え込むのは呪術的に過ぎる。

この辺の共同幻想から外れてしまった子供に自己肯定感を持てという意味を、どの程度の教育者が理解しているだろうか。

学生時代は、他人(教師全般)というのは「大体そんなものだ」と思ってすごすけれど、ある程度の年齢になってから良い他人に触れることで、初めてアレらがとてつもないハズレだったことがわかる。

この辺の子供たちの教育の機会の有無が”完全に運任せ”になっている点は、本当にやばいんじゃないかと考えている。

(イチローは基本的に大人が嫌いでなんでも教育のせいにしたがる傾向があるので、この辺のことは話半分で聞いてほしい)

それに加えて人類が作ってきた様々な”神話”が最終的に「神話であった」と理解されるのは、その幻想が共同化されなくなってからの話。

そのような意味から社会の幻想にドップリ浸かる気分には個人的にちょっとなれない。

昔、地球は丸くなかったらしいけど、正直なところ実際丸いのかさえほとんどの人にはわからない。

©️永田カビ/イーストプレス
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先述したような教育的な意味において人間の持つ語彙の多さは、人類の”豊かさ”というよりもむしろ”貧困さ”を思い起こさせる。

本当に伝えるべき言葉がわからないから、代用品をたくさんかき集めて、こねくり回して、あーでもない、こーでもないと繰り返しているだけ。

たとえば「生に意味がない」というニヒリストたちの言葉は「生に意味があるべきだ」という固定観念の「狂信的な妄想」であると考える。

このように人間は健常者も疾患者も、みんながみんな言葉や幻想に縛られている。

このような教育の果てに就活生が「お金玉デカ男」になってしまうのも無理はない。

とは言ったところで、言葉を失えば社会の共同幻想が崩壊するのだから贅沢は言ってられない。

この世界で生きる他ない。

うつ病の人に言わせれば「でも最初に人を好きになった時に”恋”なんて言葉は知らなかったでしょ?」とでも言うのだろうか。

こればっかりはなってみないとわからない。

【うつ】という病気のはじまり・自己形成の失敗

次はうつ病を扱うことにおいて、最も重要だと感じている”自己形成”についての話。

先に述べた問題のトラウマ・人間関係・教育は結局のところ”自己形成”さえなんとか出来ていれば全て副次的なものでしかないからだ。

(自分と他人が違うことをちゃんと知っている人間は強くしなやかになれる)

勘違いしている人もいるかもしれないが”自己”というものは人間が生まれながらに持っているものでは決してない。

更に言えば”自分がじぶんである”という根拠は自分の内側には存在しないとも思っている。

(内在していると自負する人間がいるのであれば、それは誇大妄想か過小評価のどちらかだよきっと)

人間は自分の属する集団(職場とか学校etc)の共同幻想(有能さとか容姿etc)に定義付けられた現実感覚によって自己を確立する。

(あなたはこういう人だよね・自分はこういう人だよね、が重なったものが自己と考える)

だから自分のセルフイメージっていうのは「私はこういう人間だ」ということよりも「私は他人や世界にこのようなことを期待し要求する」と理解する方が正しい気がする。

つまり人間は多方面に集団形成しないと多面的な自己の確立が出来なくなるし、仕事や子育てにしかアイデンティティがない人間はそれが終わった時に自己を見失うことになる。

(患者のいない医者はすでに医者ではないし、推しのいないアイドルヲタはもはやただのヲタ。つまりは自己はそういったものの集合体)

永田カビさんも、漫画を書くということを通じてこの事実に気付き、自ら言及している。

©️永田カビ/イーストプレス

それを踏まえると、自分の考え・嗜好を自己にするためには友達や恋人や賛同者が必要だし、

自分の身分・地位・能力などを自己にするためには仕事や活躍の場が必要ということになる。

単純な話、形成しているコミュニティの数が多ければ自己も丈夫になる。

そして”じぶん”と”じぶん以外”を区別する1番最初の段階であり、すべての自己になりうる可能性(個人の性質)の土台が家族なのだ。

だから自己形成や自己肯定感において、児童虐待という問題は非常に根深いし社会不安になり得る。

何が好きか。何が嫌いか。虐待を受けて育つと、それさえもわからない人間が出来上がる。

(親が過剰に干渉しても同様のことが起こる。これはいわゆる”優しい虐待”だ)

別の角度で言うと、家族が亡くなってしまった時にとてつもない”喪失感”を感じるのは、それが本当の意味で自己を喪失しているからだと考えていい。

親を亡くしてしまった場合には”息子”とか”娘”といった自己が喪失するし(もはや現実において誰の息子でも娘でもなくなる)兄妹を亡くしてしまった場合”兄”だとか”妹”といった自己が喪失してしまう。

このように自己形成における”家族”(特に最初に接する”他人”母親)という存在は、まさに人間の根源的なものであるといえる。

永田カビさんの以下のコマを読んでもらえれば、そのことが痛いほどよくわかるはずだ。

©️永田カビ/イーストプレス
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そして多くの精神疾患はこの一連の”自己形成”がうまくいかなかった場合に起こるとされている。

自己・自我は一旦作られてしまえば、それが本人の人生の要になることは多くの人の知るところだ。

しかし、この自己・自我を組み替えなくてはならなくなった場合(それは往々にしてあらゆる人生で起こり得る。夢の挫折・恋人との別れ・毒親との決別・ブラック企業への入社・いじめ・虐待etc)非常に不安定で困難を伴う作業を求められることになる。

考えてみれば”自分がじぶんであることの根拠”であり”世界へのアクセスの起点”を更新するのだから、大きなリスクは当たり前だ。

その新たな自己・自我の形成に挫折してしまうことが、あらゆることに神経質になることだったり、倫理観の逸脱であったり、いわゆる精神が分裂するような状況なのだと考える。

©️永田カビ/イーストプレス

普通の大人への道は大多数の人が思っているよりも険しいし、

おじさんになってきたからこそわかるけど「”普通の大人”ってあんまりいないよ」って学生時代の自分に教えてやりたい。

「何者かになりたい」と考えるより前に、人間は誰でも、ある程度聖人で、ある程度犯罪者で、ある程度偽善者なのを理解する方が良い。

その方がずっとラクに生きていける。

社会は本当にマジでみんなちょっとおかしい人ばかりだし、手が長い人もいればアフロもいる。

みんな凸凹だからこそ社会は成り立つ。

自己の形成なんて失敗がデフォなんだから、ゆっくりやったらよかったんだ。

好きなことがちゃんと見えてることが人生では1番大切なんだから。

自分の中の”好き”と”嫌い”がわかるくらいで全然よかったなって今なら正直に思う。

とはいえ先に述べた理由で自己形成において”家族”に恵まれなかった場合の、とてつもないハードルの高さは生きる人間全員が理解しておいた方がよさそう。

愛されていたことを受け入れなければ、あるいは愛されていなかったことを受け入れなければ先に進めない。

©️永田カビ/イーストプレス

【うつ】という病気への偏見・乗り越え方

個人的な考え方をダラダラ書いてきたけれど、これらの理屈をまとめると、精神疾患を持った人たちの外界に対するセンシティブな反応とか、脅迫観念とか、自己嫌悪とかっていうのは

”自分がじぶんである”根拠を内側に求めた時に起こる現象で、人間の持つ幻想として1番素直で正直な姿なんだと思う。

(産まれたばかりの赤ちゃんにとって自己は世界で世界は自己だ。他者への期待や言葉が裏切られるのが当たり前の共同幻想の中に僕らは生きていることを理解するのが”一般人”への近道だろう)

それを健常者(とされる人々)が気味悪く感じたり、嘲笑ったり、怖がったりするのは、それらが全部自分の身に覚えのあることで、理解できてしまうのが怖いからに他ならない。そういった意味ではもはや”健常者”などどこにも存在しない。

苦しんでいる人や血を流している人を見たがる人間がいるのは、苦しんでいる人や血を流している人が”じぶん”の代わりに苦しんだり血を流したりするからだと考える。”じぶん”の痛みには血が流れないからいつも不安でしょうがない。

この考えは、永田カビさんの漫画を読んで得た気付きである。

©️永田カビ/イーストプレス
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理解したくないものを理解しないため、昔からそういった気質を持たざるを得なかった芸術家や芸人は”一般人とは違う”エリアに隔離され、仕分けされてきた。

時代や国によってそのエリアは一般人の扱いより上であったり下であったりするのだけれど。

なんにしても芸術家・表現者・疾患者はその特性上、優越感を感じにくいから誰かが決めたサクセスストーリーの真似をしたところでコスパが悪い。

そういうものは一旦全部取り払って、自分でじぶんを喜ばせる方法を見出すことが必要になる。

全部すごく普通のことだけど、意外にも実践できている人は少ない。

結局のところ健常者(とされる人々)は社会の共同幻想を守りたいのだ。

”真実かもしれない”精神疾患者の純粋な妄想を受け入れてしまえば、自分たちの住む世界の安定が脅かされる。

だから”健常者”に「正義の味方」とか「常識人」とか「真人間」というセルフイメージを貼り付ける。

でも歴史が証明するように人間は”善”とか”正義”を語っている時に限っていちばん残酷になれたりもする。

(ナチスだって十字軍だって正義を語る)

こういった人たちに出会ってしまったなら、勇敢に戦うことなんて絶対にしなくていいと思う。

今までもここに書いてきたように”正義”とか”常識”を振りかざす人間にはもう正直うんざりしていて、固定化された観念しか持たない上に他人の言葉でしか喋れないような人間に”健常者”も”疾患者”もない。

健常者にもカスはいるし、疾患者にもカスはいる。線を引くのは治療するための医者だけで十分でしょ。

©️永田カビ/イーストプレス

僕らが何かの現実を乗り越えようと思った時に、その足場になり得るのは自分自身の幻想でしかない。

(根拠のない自信・自己陶酔は人生の動力にうってつけで、あらゆる場面で自己肯定感が活きてくる)

僕らの生きている現実は結局のところ自然界からトリミングされた擬似的なものだし、社会全体が定義づけしているものは全て共同幻想だ。

だからテキトー(いい塩梅)でいいんですよ。生き方も働き方も人間関係も過去も未来も。

人間が決めた現実なんてそんなもんなんだから。って思えれば強くなれるかもしれない。

(いずれにせよ”強くなった”ようには見えるし、既存の他者的な価値観に気付くだけでもだいぶマシだと思う)

その点から言えば想像力っていうのは人間界では”大きな武器”になるし、自然界からしたら”人類の不治の病”とも取れる。

だって動物たちはあきれるほど絶対的な”本当の現実世界”を生きていて、幻想を持つ欲求も必要性もないのだから。

生き物は本来、やらなきゃいけないこともないし、居なきゃいけない場所もない。

動物や自然に対してコンプレックスを持っている人っていうのは意外と多いのかもしれない。

(ケモノになりたい・貝になりたい・わたしに還りなさい)

言葉を操り、幻想を持つようになったところで人は”動物”から”人間”になって、そして病んでいくのだろうか。

このあたりの深淵には分け入っていく勇気がない。

だから今日はもう、誰かちょっとお会計して〜

ってことで、長文おつかれさまでした。最後まで読んでもらってありがとうございました。

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