【Sly & the Family Stone】スライはいかにして伝説になったか・大国アメリカの光と闇【考察まとめ】

音楽の話

スライ・ストーンの半生を考察(Sly & the Family Stone)

こんばんわ。

最近なんとなくスライ・ストーンのドキュメンタリーをアマプラで観たので、今日は”Sly & The Family Stone”について書いてみようと思う。

「いまさら」とか「りゆう」とかはもうこの際どうでもいいのだ。やっぱ”暴動”はすごい好き~なんだかんだよく聴いちゃう~。くらいの軽いノリでブログ書いたっていいじゃん。許して。

チマタではファンクの走りとして語られることが多いスライだけれど、バンドの歴史を話し出すととんでもない文章量になってしまう。音楽系の文章を書くときはこの辺のバランスがすごく難しい。

いわゆる”サマー・オブ・ラブ”とか”フラワー・ムーブメント”出身のグループで、反差別主義な理想の追求を核にしたサンフランシスコ・バンドの象徴として知られているスライ。

現にバンドメンバーも黒人・白人・男性・女性といった様々な人種が在籍していて、これは1967年当時にはものすごく画期的だった。そのくらい当時の人種差別は今よりもずいぶんと根深かった。

スライが“ボーダーレスバンド”なんて呼ばれたりするのには他にも理由があって、ファンク?ロック?ポップ?みたいな印象のトラックたちを聴いてみるとそれが理解できる。

様々なエッセンスが取り入れられた楽曲は今聴いてもめちゃんこファンキー。テンションあがるあがる。カラダゆれるゆれる。

若い頃「ベースかっこいいな・・」って思って調べてみたら「ラリー・グラハムが居たバンドだったのか!」ってなった人も多いんじゃないだろうか。わたしだけ?

ともかく、スライ・ストーンの黒人らしいビート感を土台にしながらも、固定観念に縛られないリベラルで開放的なサウンドは、2021年現在においても自分のテンションを保つための重要なビタミン剤になっている。

ってなワケでいつも通りゆるーくウェイウェイ書いていってみようと思う。今日は”Sly & The Family Stone”の話。

スライ&ザ・ファミリー・ストーン (Sly & the Family Stone) は、サンフランシスコを本拠地として活動した、アメリカ合衆国の人種・性別混合編成のバンドである。アバコ・ドリーム名義によるシングルも2枚ある。

Wikipediaより

Sly & the Family Stoneのバンドメンバーについて

はい。例のごとく自分の知っている範囲でスライ・ストーンのこととか、ファミリー・ストーンのメンバーたちのことを書いてみようと思います。

このバンドはスライのワンマンバンドと勘違いされがちだけれど(もちろん飛び抜けた天才であることには違いないが!)ファミリー・ストーンのメンバーたちも楽曲制作とかバンドの方針などに発言権があった。これはバックバンドとしては当時、珍しい扱いだった。

この辺が”Sly & the Family Stone”の自由なサウンドの源泉になっているのだけれど、その辺のことを踏み込んで書いていけたらいいなと思う。

ボーカル スライ・ストーン

スライ・ストーン オフィシャルサイトより

何か幸せなことがあれば皆で喜び、歌いたくなるような曲がたくさんあれば、皆で歌う。

人生に苦しみやつらいことがあれば、共に背負う

アフロ・モミアゲ・サングラス。

世界中の人の「想像上のファンク」を具現化するとスライ・ストーンが生まれてくる。子どもが大きくなったらトイレとファンクには神様がおるんやでぇ、と伝えてあげたい。

そのくらい全盛期はアフロのデカさも神がかってた。

スライは1944年にテキサス州で生まれた。父はギター弾きで、母はゴスペルグループに所属していたので、スライが音楽に興味を持ったのは幼少期の環境が大きいのかもしれない。

そんな家庭で育ったので、少年時代からすでに弟のフレディ、妹のローズと一緒に「スチュアート・フォー」というコーラスグループを結成するなどファミリーストーン以前よりその音楽的な才能を発揮していた。

ギター フレディ・ストーン

Twitterより

スライの弟のフレディ。兄のスライに隠れがちなキャラクターだけれど、名盤”Fresh”のワウギターは、ファンクの可能性を広げたプレイとして多くのフォロワーを生んでいる。

ちなみにコーラスもめちゃめちゃウマイしアフロの大きさも兄貴に負けてない。生粋のファンク野郎である。これがパーマカルチャーってやつか・・・ちがうか。

キーボード ロージー・ストーン

rolling stoneより ロージーは写真中央

スライの妹ロージーは、キーボードとコーラスを主に担当。

個人的に大好きな曲の中に”Runnin’ Away”という曲がある。

この曲はバンドが非常に難しい時期に作られたトラックだけれど、スライとロージーのやさしいボーカルを聴いていると、やっぱり兄妹なんだなぁ・・ってしみじみ感じる。

この兄妹のパートナーシップは、酒やドラッグでボロボロになっていくスライの心の支えになっていたに違いない。

トランペット シンシア・ロビンソン

Twitterより

スライの高校時代の友人のシンシア。ファミリーストーンのメンバーとして、バンド創世記より活躍したトランペッター。

バンドのメンバーという意味以上に、60年代当時の女性管楽器奏者の草分け的存在として高く評価されている。

ちなみにちなみにコーラスもやっぱりウマイ。歌が上手いのはこの時期のバンドではデフォなのだろうか。それともスライと一緒にいるとファンクナイズドされてしまうのだろうか。

ベース ラリー・グラハム

youtubeより

シンシアの親戚という縁でバンドに加入したラリー・グラハム。

70年代以降のリズム・ミュージックへの多大なる影響力と、ベース奏法に”チョッパー・スラップ”を取り込んだことでも知られる偉大なるパイオニア。

初期のファミリーストーンへの貢献度は非常に高く、その独特の奏法は様々な場所で評価の対象になったが、スライの薬物問題に端を発した様々な問題によって仲違いになってしまう。

名盤「暴動」を最後に1972年脱退。その後は広く知られているように、スタープレイヤー・シンガーとして世界的に活躍。

グラハムの活躍ぶりはスライの破滅とは対象的で、その対比は70年代のアメリカの雰囲気をリアルに表している。

サンフランシスコの夢の後って感じ。いや夢の街って感じ。いやゾゾタウンって感じ。よくわからなくなってきた。慣れないことはするもんじゃない。

ドラム グレッグ・エリコ

Twitterより

ファミリーストーンの初代ドラマー、グレッグは白人だった。

1971年に脱退してしまうがその後、ジャコパスでおなじみの”ウェザーリポート”に在籍したり、サンタナグループに入ったり、デヴィット・ボウイのツアーに参加したりして超売れっ子ドラマーになっていく。

以降はグレートフルデットのジェリー・ガルシアなどアメリカ西海岸界隈の人たちと仲良くしてるみたい。

在籍したプレイヤーがそれぞれビックネームと一緒に活動しているのを見て、改めてすごいバンドだったんだなと感じている。ざわざわ。

Sly & The Family Stone伝説・なぜスライは評価されたか

さてメンバー紹介も済んだところで、ここからは”Sly & The Family Stone”が現在に至るまでレジェンドとして評価される理由について考えていこうと思う。

といってもスライがレジェンド扱いされている理由を考えようとすると、冒頭で書いたような60年代のアメリカの状況を多少知っておかなくてはならない。

60年代のアメリカは、黒人主導による公民権運動の真っ只中。その動きは全米を巻き込んでの大きなうねりを伴っていた。

その運動の中心人物(と言っていいと思う)だったキング牧師が暗殺されたのが68年。その後はブラックパンサー党に代表される黒人の過激派組織が活動を活発化させ、社会現象を超えてショービジネスにもその影響を広げだした。

そんな時代背景も手伝って当時の黒人ミュージシャンたちの音楽は、白人を直接糾弾するようなものが少なくなかったし、事実売れてからのスライは黒人の過激派によって白人メンバーの脱退を迫られる。

(スライはそんなもん相手にもしなかったが)

話を戻すと、たとえば黒人思想の誇りを歌い、ヒット曲を連発させたJBなんかはそのムーブメントの代表格といえる。

Wikipediaより

Say it Loud – I’m Black and I’m Proud」(声高に叫べ ー 私は誇り高い黒人だ)

James Brown

アメリカのこのような状況は、当時の白人と黒人に深い溝を作った。

ただそこは広い国土を有する大国アメリカ。保守的な南部の考えとは一線を画す”ヒッピー文化”が別の場所で芽生えていく

先述したような”サマー・オブ・ラブ”とか”フラワー・ムーブメント”はこの現象の好例。発祥はサンフランシスコを中心とする西海岸。スライのホームタウンだ。

あら不思議。公民権運動とは別のところで「人類はみんな兄妹なんだから仲良くしようぜ」的な文化が生まれたわけだ。広大な国土を有するアメリカならではの現象だ。

ヒッピーの思想は「反戦」であり「非暴力」であり「みんな友達」であり「ドラッグ最高」である。

このフラワー・チルドレンと呼ばれるリベラルな若者たちが集まって「みんながハッピーになれる音楽を作ろうよ」と集まったのが”Sly & The Family Stone”なのだ。だから人種も性別もバラバラ。

この当時、フラワー・チルドレンたちに好まれた音楽っていうのが”グレイトフル・デッド”であり”モビー・グレイプ”などである。”メッセンジャー・サービス”であり”ジミヘン”である。

この辺を意識してからスライを改めて聴いてみると、本当に彼らの”凄み”みたいなのが実感できると思うし、それは結局”わかりみ”だし、あるいは”良さみ”ですらある。

まぁとにかく聴けはむき出しのソレを体感できる。ヤバすぎ。

理由その1 音楽に人種や性別は関係ないことを体現してみせた

amassより

ってなわけで、スライってバンドの最初のリスペクトポイントってのは「バンドメンバーへの制約がない」ってところだ。

これは先に述べたような時代背景を理解していないと凄さが伝わらない。スライの現代における認知度がイマイチ低いことと関係があるかもしれない。

“ファンク”ってジャンルを作ったのは間違い無くJBなんだけれど、JBの作ってるファンクはそのほとんど全てが黒人のための音楽だった。

当時の人種差別的な土壌との関係もあるけれど、そもそもファンクというジャンルのグルーブを理解できる白人が少なかったってのも要素として大きい。

かたやスライはアメリカを席巻していた「白人vs黒人」の構図に巻き込まれることなく、自分の大好きなファンク・ミュージックを誰もがハッピーになれる音楽として扱った。この辺がファンキー寄りの加藤さんとはちょっと違う。(イチローはファンモンもカラオケでよく歌う)

この意味で黒人音楽のターニングポイントにスライがいると言え、その後のミュージシャンに与えた影響は計り知れない。

これはバンドのフロントマンであるスライ・ストーンが人種差別が比較的ましな西海岸地域で多感な青年期を過ごすことができたことが大きいと思う。

理由その2 ファンク+ロックというジャンルの昇華

ニューヨーク・タイムスより

スライ・ストーンは青年期を西海岸で過ごすことで、ヒッピーの思想を自然と受け入れていった。自分のバンドに”ファミリー・ストーン”と名付けたのも「人類みな兄妹」というヒッピーの考え方から来ている。

この辺のことからもJBが歌う「誇り高き黒人」といった考え方とは明確に違うことがわかる。

とはいえJBの作り出したファンクは最高に踊れる大発明であったから、主義主張はさておきスライはその発明を自分なりにカスタマイズしようと試みる。

当時の黒人音楽はJB・アレサオーティスを見るとわかるようにリードシンガー+バックバンドという構成が主流なのだが、スライにとってファミリー・ストーンは家族であり兄妹という扱いであった。

そのため演奏の細かい指示や命令などはなく、多くのロックバンドと同じようにトラックメイクをメンバーと相談して進めていったことがファンクというジャンルを昇華させることに成功した大きな理由であると考える。

それがそのままファンク・ミュージックの完成形になることは60年代当時、誰も予測していなかっただろう。それは江戸時代の寿司職人がマヨコーン寿司を予測することぐらい不可能なことだった。

理由その3 後進のミュージシャンに与えた影響がすごい

pinterestより

このようにしてバンドのフロントマンであるスライ・ストーンは黒人のためのファンクを、ロッカーとしてのスタンスで構築し直した。

その画期的な手法は同時期に活躍したジミヘンや、後進ではプリンスなどにも見られる特徴だったが、”Sly & The Family Stone”のすごいところはロック・ミュージックとしての”ファンク”を完成形にしたことだ。

そのロックとしてのファンクの到達点が最初に触れた「暴動(There’s a Riot Goin’ On)」というアルバムで、この作品をピークポイントにしてスライ・ストーンは徐々に壊れていくことになる。

まぁそれは別の話で、とにかくこの「暴動」って作品は時間の洗礼を受けてなお後進のミュージシャンたちに影響を与え続けている。

それはマイケル・ジャクソン、スティービー・ワンダー、ベック、ソニック・ユース、ナインインチネイルズ、レディオヘッド星野源など様々な音楽家たちの声と音源を聴けばすぐわかる。

スライがいなかったら、現代のロック・ミュージックもポップ・ミュージックも今とはだいぶ違った形をしていたと想像する。科学館のプラネタリウムとラブホの間接照明くらい違っているものだと考える。

Sly & The Family Stoneの楽曲・スライのおすすめトラックについて

ここからは”Sly & The Family Stone”のオススメトラックを独断と偏見で紹介していこうと思います。

聴いてみるとわかるけれど、スライの多くの曲は現在のファンクの原型になっていて、本当にたくさんのポップ・ミュージックの源泉になっている。

50年以上も前にこのジャンルが完成されていた事実はかなり衝撃的。めちゃリスペクト。ドキがムネムネ。ってなわけで最初はスライ・ストーンの才能が開花したこの曲から。

スライのおすすめトラックその1 Thank You

「ファンクの幕開け」として70年代のスタートを飾った”サンキュー”。

スライってどんなバンド?って聞かれたらこの曲をオススメしとけば間違いないだろう。そのくらいスライ・ストーンの意図するファンクというものが具現化されている。

この曲をファンクの理想形に押し上げている要素としては、やっぱりラリーグラハムのベースの存在が大きい。なんといってもスラップ奏法の生みの親だし、そこは元祖な粘っこさがある。老舗のうなぎ屋の秘伝のタレみたいだ。

もともとは若い頃やっていたバンドのドラムが抜けてしまって、その音をベースで代用しようとしたことがはじまりらしいよ。

そんなこんなでスライの代表曲(と勝手に思っている)の”サンキュー”なんだけど、実はベスト盤にしか収録されていない。ちょっとツラタンだけど、世に出なければその時点でオワンゴなので、その意味でこのバンドのベスト盤は尊い。まじサンキューって感じ。

スライのおすすめトラックその2 If You Want Me To Stay

スライ・ストーンのドラッグに端を発した問題行動の数々で、バンドが空中分解したのは名盤 “暴動”のツアー中。なので”フレッシュ”収録のこの曲の演奏者はオリジナルメンバーとはけっこう入れ替わってしまっている。かなしい。

とはいえスライ・ストーンもこの時期までは自分のドラッグ癖をある程度制御できていたみたいで、このアルバムまで作品的な評価は高い。

直訳すると「一緒にいたいなら」となるこの曲は、スライ曰く「書いたことは俺自身の率直な気持ちだ。一緒にいたいなら言ってくれ。そうでなければサヨナラだ」だそうだ。

先述したようなドラッグ問題でギグやライブを常習的にすっぽかしていたスライ・ストーンとバンドファンの間には、深い溝ができていたと推測される。かなしい。

スライのおすすめトラックその3 Dance to the Music

”Sly & The Family Stone”がバンドとして初めてヒットチャートのトップ10に入った記念すべき曲がこちら。

ヒットした当時は60年代後半だったけれど、70~90年代にかけてもテレビCMやコンピレーションなどで何度も使用されていたので「スライはこの曲だけ知っている」という人も多いんじゃないだろうか。

欅坂で言えば平手友梨奈ちゃんだし、サッカーのA代表で言えば井原正巳だし、巨人軍で言えば松井秀喜のような曲。

シンプルな構成にわかりやすい歌詞と中毒性のあるグルーヴ。スライのバンドとしてのケミストリーが発揮されていて、「不動のセンターってこういうことなのね・・」って感じさせてくれる楽曲。

スライのおすすめトラックその4 Everyday People 

このバンドの思想とか信念が多分に感じられることから、バンドの名刺代わりの一曲であり最高傑作であると言う人も多い”Everyday People”。

”Sly & The Family Stone”が一番平和だった時代・・”スタンド!”収録のトラックであることから「あの頃は良かった」と思う人が多いのかもしれない。

そのくらい1969年ってのは当時の人たちにとっては、ユートピア感というかおとぎ話感が強かったのだろう。たぶんきっとおそらくぜったい。

アラサーの自分には掴みきれない感覚だが、この曲を聴くと当時の若者たちの雰囲気がなんとなく伝わってくる。そんなハッピーな気持ちになりたいファンキー野郎のパーティーピーポーの為のヒッピー賛歌。

スライのおすすめトラックその5 Family Affair

この記事の中でなんども話題に上がっている”暴動”に収録されている”ファミリー・アフェア”。

過去のアルバムから比較するまでもなく、明らかに雰囲気がガラッと変わって暗いトーンの内向的なトラックが続く”暴動”は、やはり70年代初頭のアメリカっていう国を見事に表している。

60年代後半のフラワー・ムーブメントは70年代前半にはすでに衰退。ドルショック・オイルショックなどの経済不況や政治不信、泥沼化していくベトナム戦争などによって国全体に暗い失望感が蔓延していた。

スライのバンドとしての最後のトップ・シングルになった”ファミリー・アフェア”はそんな夢から醒めたアメリカをドラムマシンや、街の自然音などで再現してみせた前衛的な名作。

スライのおすすめトラックその6 Runnin’ Away

やっぱり”暴動”収録で、シングル曲だったけどあんまり売れなかった”ランニン・アウェイ”。

特に取り上げられることの少ない曲なんだけど、個人的にスライの曲の中で一番好きだったので最後にねじ込んでみた。

さっき紹介したように70年代のダウナーな雰囲気を表現した(であろう)アルバムの中に収録されている一曲なので、深読みしてしまうのは「陽気に聴こえつつも皮肉を内包している」ってところ。

曲調はピースフルでバンドは晴れやか。でも歌詞が暗い。「離れるために逃げている。靴がボロボロになっている」・・暗い。

人生の「さみしい」とか「むなしい」をじっくり煮つめたクレアおばさんもビックリの楽曲。

まぁ、なんだかそんな曲の中のコントラストがなんとも言えず魅力的に思えてしまったのです。わかってくれる人がひとりでもいれば嬉しいです。

ファンクの神様・Sly & the Family Stone・まとめ

はい。ってことで今日は夜な夜な”Sly & The Family Stone”について語ってきました。いまさら誰が読むねん。2021年やぞ。

とはいえ若い頃からずっと好きなバンドだったので、何はともあれ自分のためにこのバンドについて書いてみたかった。

昔からこのバンドが持つ思想がすごく好きだ。いい音楽に人種も性別も関係ない。それを見事にサウンドで証明してみせた尊敬すべきグループだと今でも思っている。

更に言えばアラサーの日本人がブログで取り上げていることからもわかるように、ファン層がすんごいバラバラ。

国もバラバラ。年齢もバラバラ。性別だってバラバラ。

そんなところもこのバンドの持っている普遍的な魅力のせいなんだと考える。

聴いてもらうとわかる通り、アッパーな曲も良し。バラードも良し。ダウナーも良し。インストも良し。リフも良し。なにより踊れる。もう最高。

最近ボーダーレス的なバンドが流行っているけれど、60年代当時にスライみたいなバンドがいたってことをみんなに知ってほしいな・・と思って長文をしたためてみました。

ロックの達人であり、ポップの名人であり、ファンクの神様でもある”Sly & The Family Stone”に敬意を込めて。箸を置いて読んでくれたあなたに愛を込めて。

今日はこんなところで。

nostalgiaより

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