【新作もいいけど】村上春樹・初期作品”鼠三部作”を考察してみた【旧作もね】

考察してみた

自己紹介で本が好きなんて書いてしまったので、今日は本の話を。

村上春樹さんが大好きなので、初期の作品「鼠三部作」について書いてみたいなと思います。

拙者なんかが今更説明する必要がないほど、世界的に有名な作家である村上春樹さん。

氏の文学の研究を専門でしている研究者や機関が存在するなど、その影響は日本の近現代文学において非常に大きいものがある。

え?大丈夫?そんな人のこと、中途半端な知識で書いて怒られない??

大丈夫です。前回の宗教の記事けっこう様々な言語で怒られているから耐性は出来ている……!

「安いもんだ……腕の一本くらい……!」つって記事を消しちゃってもいいんだけど、リライトにリライトを重ねてくだらない超幻想を忘れられぬ存在感に変えていこうと思う。

話を村上春樹さんに戻すと、拙者的にはウィルコレディオヘッド好きなのにシンパシー勝手に感じてる。

もちろん拙者は特に文学方面に対して深い教養があるわけでは無いので、一読者として好きな作家さんの小説を紹介する雑ブログです。

拙者って一人称は頭良さそうかなって思ったんだけど、誰も笑ってくれないからそろそろやめとく。

村上 春樹(むらかみ はるき、1949年(昭和24年)1月12日 – )は、日本の小説家、文学翻訳家。京都府京都市伏見区に生まれ、兵庫県西宮市・芦屋市に育つ。早稲田大学在学中にジャズ喫茶を開く。1979年、『風の歌を聴け』で群像新人文学賞を受賞しデビュー。

wikipediaより

ハルキストの出発点・「鼠三部作」とは

『鼠三部作』とは、「風の歌を聴け」、「1973年のピンボール」、「羊をめぐる冒険」からなる作品群です。

その全てが「僕」とその友人「鼠(ねずみ)」の物語となっています。

これらは「風の歌を聴け」で群像新人文学賞を受賞した村上春樹さんが描いた初期の中・長編作品となっていて、村上春樹さんの原点であり、ハルキストの出発点である。尊い。

村上春樹作品特有の退廃的で幻想的な雰囲気は、この時期から既に漂っています。

ひらたく言ってしまえば『鼠三部作』と呼ばれている作品たちは、いわゆる初期の同一登場人物が登場する三つの作品の事を指してファンの間でそう呼ばれているにすぎない。

オフィシャルであったり、正式名称ではないのだ。

村上春樹さんの初期の作品の特徴として、いわゆる最近の作品の印象や有名作品『ノルウェイの森』などで見られるリアルな性的な模写、『1Q84』や『ねじまき鳥クロニクル』などで見られる暴力的な模写はあまり見られず、非常に読みやすい内容になっています。

すでに『羊をめぐる冒険』では村上春樹ワールドではおなじみの「向こう側の世界」が既に垣間見れたりするのもポイント。

村上春樹さんの小説においての「あちら側」と「こちら側」の行き来ってのはお馴染みの手法だったりするので、そのあたりのルーツがここにあるわけですね。

その他にも『1973年のピンボール』なんかでは近年、村上春樹さんが得意とする、物語のパラレル進行を「僕」と「鼠」でやって見せている。

イチロー個人の特技も、きのこを食べないで「あちら側の世界」を覗けることだったりするので、勝手にシンクロニシティって感じがしてくる。

風の歌を聴け

村上春樹新聞より

村上春樹デビュー作『風の歌を聴け』の時代背景は、小説の冒頭部分で語られるように・・

「この話は1970年の8月8日に始まり、同じ年の8月26日に終わる。」

たった18日間の物語ってことですね。

29歳になった主人公が8年前の「鼠」と過ごした故郷での夏の出来事を文章として書き起こそうとするところから物語は始まる。

「鼠」との夏の思い出はジェイズ・バーで25mプール分のビールをひと夏かけて飲み干した思い出に終始する。

何かを持ってるやつはいつか失くすんじゃないかとビクついてるし、

何も持ってないやつは永遠に何ももてないんじゃないんじゃないかと心配してる。

みんな同じさ。

やれやれ言いつつもジェイズ・バーで「鼠」と淡々と過ごす夏を送る主人公。

その折にバーのトイレで泥酔した「小指が無い女の子」を介抱します。

主人公の物語はそこから進展していき、最初は「小指の無い女の子」に誤解され避けられ続けるところから始まりますが、

最終的には彼女が働くレコードショップで再会。作りすぎたビーフシチューを食べに誘われるまで進展していきます。

このように村上春樹作品の主人公たちは、なぜかナチュラルにモテる人間であることが多い。うらやまサムバディトゥナイ。

一方もう1人の主人公の「鼠」は、飲酒運転をしてサル山に突っ込んでピザパイを吐いたり・・

ホット・ケーキにコカコーラを1瓶かけて食べてみたり・・

「不治の病に冒されていると信じこんでいる有名なファッションデザイナーで30歳ばかりの女が主人公」の小説を書いたり・・

ジェイズ・バーで「金持ちなんて・みんな・糞くらえさ。」と怒鳴ったりして青春を過ごしていた。

皆が当たり前にできることを、鼠は満足にできない。変わり者って言葉は格好いいけど、結局は他人に迷惑をかけてしまう非常識人間。

そういうコンプレックスを、奥底に持っている感じ。大人と青年の中間という立ち位置が「鼠」の魅力。

なんとか頑張って世間に合わせようと努力するんだけどどうにも自分を型に嵌めることが出来ない「鼠」に多くの読者は共感する。

主人公に言わせれば「恐ろしく本を読まない」のに小説を書き始めるあたりも非常に「鼠」らしい。

鼠の小説には優れた点が二つある。

まずセックス・シーンの無いことと、それから一人も人が死なないことだ。

放って置いても人は死ぬし、女と寝る。そういうものだ

1973年のピンボール

『1973年のピンボール』は1973年9月にこの物語が始まると小説内にあるので『風の歌を聴け』から3年後の主人公と「鼠」の物語になる。

この作品で既に村上春樹さんの得意の手法である2つの物語のパラレル進行の手法を垣間見ることが出来ます。

イチロー界では回転寿司パターンと呼ばれる手法ですね。くら寿司かな。スシローかな。魚べいかな。

そんな感じでこの作品の中では主人公の物語と「鼠」の物語が交互に流れる寿司のように語られていきます。

「遠くから見れば、」

と僕は海老を飲み込みながら言った。

「大抵のものは綺麗に見える。」

「その秋、僕たちは700キロも離れた街に住んでいた」とあるように主人公は大学を卒業して翻訳事務所の立ち上げに参加。

一方「鼠」は大学をドロップアウトして、未だにジェイズ・バーでビールを飲み続ける日々を続けていました。

主人公は双子の女の子(実子ではなく彼女?的な存在)と同棲しつつピンボールを熱心にプレイする日々を送ります。

かつて「鼠」も夢中になったスリーフリッパーのピンボール台「スペースシップ」を捜し始める事で物語が進展していく。

その中で同じ翻訳事務所で働く女の子とデートを重ねて最終的に入籍。『羊をめぐる冒険』に繋がっていきます。

ちなみにこの『1973年のピンボール』には主人公とかつて付き合っていた「直子」という女性が登場して、自殺してしまう模写があります。

この女性は村上春樹さんの代表作『ノルウェイの森』のヒロインである「直子」と特徴が似ていることから、一部のファンからは同一人物ではないか?という噂も出ています。

以下は『ノルウェイの森』からの引用です。

もっと昔、僕がまだ若く、その記憶がずっと鮮明だったころ、

僕は直子について書いてみようと試みたことが何度かある。

でもそのときは一行たりとも書くことができなかった。

ノルウェイの森より

だがその説の通りに考えると、『1973年のピンボール』を書いているのが『ノルウェイの森』の主人公ということになってしまう。のか???

自分でそれを考えるとヘワァ~~そうなの~~~??というIQが8〜4くらいの感想のところで思考停止してしまう。この辺のことについては他の誰かに考察をお願いしたい。

深読みするとキリがないけれど、「直子」「井戸」「双子」など村上作品の共通キーワードが沢山出てくるので、その辺も注意して読んでみるといいかもしれない。

一方、「鼠」は3年前に大学を辞めて以来ジェイズ・バーのバーテン「ジェイ」を相手に酒を飲み続ける現実感の無い毎日を送ります。

夏の終わりの2人はまるで老夫婦の様だという模写まである。

そんな毎日の中「鼠」は新聞の不要物売買コーナーでタイプライターを見つけ持ち主の女性と関係を持つことで物語が進展していきます。

「鼠」は大学をドロップアウトしたが、その理由を周囲に説明したがらなかった。

1人に説明すると、世界中に説明しなきゃならなくなるからだ。

どうしても理由が必要な折にはこう説明したと書かれている。

「中庭の芝生の刈り方が気に入らなかったんだ」

きっと「鼠」にも現在の自分の気持ちを正確に表現することは難しかったんだろう。頭がサーキットベンディングしてしまう感じ、なんとなくわかる気がする。

そうそう、「鼠」を語る上で「なんかわかる気がする」はすごく大切な要素だと思う。

決して立派な人間じゃないけれど、完全に愚かでもない。って感じ?おぉ神よ、我に語彙力を与えたまえ…

デタッチメントな初期の村上春樹さんの世界において、登場人物の中ですごく人間くさい人間として描かれているのがこの「鼠」なのです。

以下は「ジェイ」から人生に悩む「鼠」にかけられた言葉です。

「ゆっくり歩け、たくさん水を飲め」

この「鼠」とタイプライターの女性との関係性や主人公と双子の女の子との関係性も含めて、

退廃的で閉塞的で孤独な世界観を描いているのが『1973年のピンボール』だと思います。

羊をめぐる冒険

コロカルより

『1973年のピンボール』から5年後の1978年が舞台の『羊をめぐる冒険』。

三十路手前の主人公は、奥さんから別れを切り出されてしまいます。

先ほど説明した出口の無い閉塞感に起因してこの別れは訪れるので、いわば主人公にとっては必然の別れであったと言えるでしょう。

主人公はその後、仕事で出会った耳専門のモデルの女の子と出会いスピリチュアルな力を持つ彼女に惹かれて行動を共にする様になります。

奥さんと別れてからすぐにモデルと付き合うなんてすごい。主人公は火野正平かなにかなのか。

豆を挽き終ってから本当はアイスティーが飲みたかったことに気づいた。

僕はいつもあとになってからいろんなことを思い出す。

一人の人間が習慣的に大量の酒を飲むようになるには様々な理由がある。

理由は様々だが、結果は大抵同じだ。

主人公はそんな生活の中、以前仕事で使用した一見なんでもない風景写真の事である大物右翼の先生に目を付けられてしまいます。

その写真は以前「鼠」から譲り受けたもので、その中に写っている「ある羊」が問題の中心になる。

そしてこの羊を探し出すよう大物右翼の秘書から言われた主人公は耳のモデルのガール・フレンドと共に羊を探す旅に出ることになる。であえ、であえ。

ガール・フレンドが言った。

「あと十分ばかりで大事な電話がかかってくるわよ」

彼女ははっか煙草を吸って「羊のことよ」と言った。

「そして冒険が始まるの」

生活感は満載でバツイチなのに主人公はずっとリア充です。

この『鼠三部作』に関しては、「実際生活を主人公」が担当していて「苦悩、葛藤を鼠」が担当しているようです。

主人公は飄々と都市生活を満喫していて、思い悩んだりする様子はほとんど見られない。

一方「鼠」は実際の生活ぶりに関してはほとんど描かれずに、内面的な描写が多く見られる。

本来人間は、「実生活」とそれに伴った「苦悩」を1人で請け負わなくてはならないのだけれど、それをセパレートして表現してみせてるのが面白い。

村上春樹さんの作品では、他にも同じ様な手法での表現として『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』での「僕」と「影」なんかも近い表現に当たるのかもしれない。

実際は主人公と「鼠」も2人で1人なのかも。

「鼠」も年齢は主人公と同じ29歳。1973年に故郷を離れて放浪生活を送っています。

様々な街でセックスアピールを駆使しながら放浪し、時折、主人公に当てて手紙を書きます。

主人公にとって問題になっている「ある羊」の写真は「鼠」から譲り受けた物であるため、羊を探すために「鼠」を探す事になる主人公たち。

紆余曲折あって「鼠」は最終的に父親ゆかりの地である北海道の十二滝町に向かったことが判明。

主人公は耳のモデルのガール・フレンドとその後を追います。

捉え方によっては様々な解釈の仕方があるのがこの冒険の醍醐味。

大物右翼の先生は「鼠」の父親だっていう説もあるし、そもそも「鼠」は女性なんじゃないか?という説まである。

イチローの頭もサーキットベンディングしてきた。この辺の考察は棚上げさせてもらいたい。

もちろん人間はみんな弱さを持っている。

しかし本当の弱さというものは本当の強さと同じぐらい稀なものなんだ。

鼠三部作の魅力・考察・まとめ

この3作品から村上春樹さんは沢山の国宝級の小説を生み出し続ける事になるんだけれど、『羊をめぐる冒険』から、村上春樹さんの小説の特徴が確立されてきていることがわかる。

特に「向こう側」と「こちら側」の話。

その世界の敷居を跨ぐ方法は、ある小説では「井戸」であったり。

ある小説では「エレベーター」であったり。

またまたある小説では「高速道路の非常階段」であったり。

「垂直方向への移動」という方法で世界を飛び越えるのが村上春樹流なんだけれど、その片鱗が見られるってことですね。

他にも「羊憑き」という表現が作中に出てくるけれど、こういった人格解離的な表現方法なんかも『スプートニクの恋人』や『海辺のカフカ』などで用いられる手法ですね。

村上作品の源流の流れを感じることが出来る「鼠三部作」は僕の大好きな作品たちです。

最近の作品を読んで村上春樹さんが好きになった若い人たちに読んでもらいたいなぁと思ってこんな記事を書いてみました。

最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。ボラーレ・ヴィーアです。

コメント

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