書くべきではないかもしれないこと

育児の話

徒然なるままに・育児とか育休について

こんばんわ。

今日はただの日記みたいなものをダラダラ書いていこうと思います。

外に吐き出したい思いはあるのだけれど、どうしても頭の中でまとまった文章になってくれない事柄をここに記しておきたい。

なるべく誰かのためになるような物を書いてみたいと思っているのだけれど、自分が好きで書いているものなのだからただの日記があってもいいだろう。

今までだって1000字の記事もあったし20000字の記事もあった。

毎日更新している時期もあれば1ヶ月以上書かない時期もあった。

生きて呼吸をしていれば、書かない期間であっても言葉が浮かび続けている。

好きなことの数だけ気が散るっていうのもそんなに悪いことじゃないのかもしれない。

そんな感じなので、これからもどうかひとつよろしくお願いします。

自分の短所は”自分に甘い”ことで、長所も”他人にも甘い”ことである。

おじさんになってきたけれどユルく生きてきたせいで、まだやさしさの本質はつかめないでいる。

手遅れだろうか。

新型コロナと核家族・子育ての孤立化

とりあえず今現在の自分の状況について書いていく。

僕は会社員としてPAという仕事をしているのだけれど、この業界ではかなり珍しく男性としての立場で育休を取っている。

新型のウイルスのせいで仕事が激減しているということもあるけれど、上司や会社の理解も大きい。

個人の発信する「助けて」に耳を傾けてくれる人がいるコミュニティで働けるというのはすごく幸せなことだと感じる。

それでも様々な場所で「男のくせに?」とか「旦那の育休って必要?」みたいな意見を聞かないわけじゃない。

だからここでは”新型コロナが核家族に与えた影響”のことについてちょっと詳しく書いてみる。

この文章に意味があるかはわからないけど、世の中は意味や価値が全てではない。

なにせ書かないとなんでもかんでも忘れてしまう。とにかく今日は思った事を書く。

新型のウイルスに端を発した騒動で世界中がザワついていた2020年。

日本でも学校がいきなり閉じてしまったり、仕事を失ってしまう人が増えたり、各家庭で本当に大変だったと思う。

うちの子が通っている保育園も休園自体はなかったが、登園自粛のお願いが回されたり、子供たちの楽しみにしていた様々なイベントが中止になったりした。

そうはいっても激しい”保活”を乗り越えて入園した保育園。

どこのご家庭も基本的には共働きで、つまりは子供を誰かに預けないという選択肢がない。

(うちも入園まで半年以上の待機児童期間があったくらいには激戦区)

仕事を守るために、子供にリスクを背負わせていいのか?と感じるパパママは多く、登園を自粛させるために仕事を辞める人も出始めた。

そのくらい最初の緊急事態宣言時には新型コロナの情報がなかった。

そしてこの新型ウイルスは”人との接触を避けなければならない”という問題を持っていた。

この条件はリスクを負って登園させた子供を”他の家庭の人間に預けづらくなる“という縛りを生む。

子供の急な発熱・保育園の送り迎え・あらゆる病院・定期検診・予防接種・外遊び・日常の対応etc

このあたりの諸々を全て同居している家族のみで乗り越えていかなくてはならなくなった。

「そんなの当たり前じゃねーかよ」というツッコミも聞こえてきそうだけれど”未熟な夫婦”がそれを自覚し、頼れるチャンネルとして実家の祖父母を頭数に入れていたとして、それのなにがいけないのだろうか。

(有料サービスや公共のサポートを使うには限界があるしだからこその共働きなのに)

このように核家族を襲ったコロナショックは”子育ての孤立化”に拍車をかけた。

例を挙げればキリがないほどに新米のパパママを襲う生活のしんどさは日に日に増していった。

外出は制限され子どもと一緒にショッピングモールに行くことや、新しくできたごはん屋さんに行くこと、友達の家に遊びに行くこと。

その程度でしかない”やりたいこと”は軒並み禁止されて、家に閉じこもれば騒ぐ子ども。

未満児なので目を離すことはできない、ゆっくり本も読めないし、風呂にだって浸かってられない。

夫婦のどちらかが働きに出てワンオペになった場合、24時間自分のペースで過ごせる時間が無い。

外に出れば子供用の大量の荷物、見張るような子連れへの世間の視線。ウイルスへの恐怖と他人への疑心暗鬼。

うちの状況で言えばその時期の嫁は妊娠中でお腹も大きく、心身の不安定さが続いていた。

このような状況から”育休を取ろう”とシフトチェンジしたのが2人目の出産後のことだった。

(つまり事前に考えていた計画ではなかった)

嫁目線で言えば、里帰り出産もできないどころか面会さえ配偶者のみに制限される状況での出産は本当に心細かったと思う。

子ども目線で言えば、ママに思い切り甘えられない長い期間、パパだけで本当によく我慢してくれたと思う。

子どもの人生に大切なのは母親だ。

つまりは子どもを守るためには嫁を守るのが最短ルートなんじゃないだろうか。

その考えはずっと頭の中になんとなくあった。

陣痛を迎えた深夜、息子を夜間の一時保育に預けて病院に向かい、朝方無事に出産。

一時保育に連絡すると泣きながら寝ずに待っているとのこと。すぐに迎えに行く。

家に帰ってすぐにでも眠りたかったのだが、なんだかテンションの高い息子。

「ハミガキしたら寝るよ!」

そういって3歳の息子に歯ブラシ渡して一瞬目を離してしまった。

次に聞いた息子の声は、今まで聞いたことのないような泣き声だった。

寝不足の朦朧とする頭で状況を把握しながらも、比喩でもなんでもなく胸が痛いくらいドキドキした。

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やばい、すごい痛がってる、やばい、どうしよう、なんで目を離した。

喉に歯ブラシが刺さったみたいだ、転んだ?どの程度の勢いで?どんな体勢?泣いててわからない。

落ち着け、大丈夫、泣いてるってことは息はできてる、落ち着け。

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喉をペンライトで照らしてみると素人目に見ても裂傷しているのがわかる。

#8000にかけて状況を説明する。

「流血して息苦しいとかでなければまずは行きつけの小児科で診てもらってください」

ここからこの日は寝ずに三件の病院をはしごすることになる。

花の名前の女の子・普通の時間

最初に行った行きつけの小児科で総合病院の紹介状を書いてもらった。

「目視では大したことなさそうだけれど、一応CTを撮った方がいいと思う」とのこと。

なにせずっと泣いている。あんなに嫌がっていた病院ですら自分から「行く」というくらいだ。

次に行った総合病院。割愛するけど単純に長時間待った挙句に他の病院へ行けと言われてしまう。

これには正直堪えた。心が折れそうになるがまだ子供が泣いている。

最終的に隣町の大学病院に行くことになったのだけれど、到着する頃にはもう夕方に近かった。

自分の不注意のせいなのに、長時間待たされる病院や大通りの渋滞に終始イラついていた。

この時は下の子が無事に産まれたことのありがたさも忘れていた。

この時期にリスクを負って働いてくれている医療者への感謝の気持ちも持てなかった。

これを書きながらも、改めて自分という人間の小ささを思い知っている。

考えていたのは自分のことばかり。

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一応ママにも連絡しなきゃ、保育園にも電話して、仕事にも行けない、職場に相談しなきゃ、祖父母に頼る?この時期に?一時保育?いやケガしてるのに無理だろ。

あれ?産婦人科のお金用意してない、そもそも2人目の子の手続きもしてない、役所行かなきゃ。

いや今は病院のことだ、もしかしたら入院って言ってた、子供の着替えは保育園のセットが車にある、自分はまぁどうでもいい。

現金あったけな、大学病院ってカード使えるのかな?そもそもあの2つ目の病院の医者なんやねん、つーか全然車動かね。

子供ってCTって撮って大丈夫なの?MRI?放射能?被曝する?どの程度?自分のせいだ。

もう泣かないでよ、ごめんねごめん、本当にダメなパパでごめんなさい。

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ずっとこんな感じのループだった。

三件目の大学病院に到着して窓口で紹介状を見せると、緊急外来から入るように言われる。

(この時点でやっと二件目の医者の優しさに気付く)

すぐに小児科(脳外科?咽頭科?)の先生に診察してもらえた。すごく有能そうな先生で手際のいい処置の最中にすごく怒られた。

「ダメだよ!パパ!ハミガキ中に目を離しちゃ!」

いや、わかってたんですけど・・なんてことは言わない。

本当の気持ちをちゃんと言語化して投げてくれる医者って信頼できる。医療はサービスではないのだからその方がいい。

というか普通に叱ってくれる人がいて少し心が軽くなった。なんでだろうか。

とりあえずその後CTを撮ることになるのだが、全身全霊をかけて嫌がる息子。

そこで1人の女の子に助けられることになる。

病院の奥深くで物々しい機械に囲まれた部屋。

そこで白衣の大人たちに囲まれて巨大な装置に放り込まれようとしているのだ。

普通の3歳児だったら泣くだろう。もちろん息子も大号泣。

鎮静剤を使う方法も技師の方から提案があったが、先生が嫌がった。

薬を使うくらいならストレッチャーに縛ろう、となってさらに泣き出す息子。

こんな小さい体のどこにそんなパワーがあったのかと思うほどの大抵抗。

「一旦落ち着かせてください」となって待合室に出される。

とはいえ泣き止ませるのが精一杯。移動以外は基本的にずっと抱っこだったので、この日は合計で12時間以上抱っこしていたんじゃないだろうか。

廊下で途方に暮れていると4・5歳くらいの女の子に話しかけられた。

「わたしもおしゃしんとるからいっしょにはいろうか」

自分とほとんど同じサイズのお姉さんが居てくれたおかげで落ち着いた息子。

なんとか撮影を終えることができた。

(さすがに撮影はひとりだったので扉の向こうからパパを呼ぶ声が聞こえたけど)

子供ふたりを待つ間に待合室でその子のママと少し話をした。

女の子の名前が春の花の名前だということ。

女の子は脳の病気で有効な治療法がないということ。

女の子は年中さんで自分の病気のことをほぼ正確に理解しているということ。

短い時間だったけれど世間話を交えながら淡々とママが話すその内容に、自分の理解が全く追いつかなかった。

今思うと失礼なことも言ってしまったかもしれない。

疲れ切っていたおじさんは多分、ヘラヘラしていたと思う。

それでも可愛らしい女の子の小さな身体に残っている太い点滴の跡とか外科処置の名残に、息が苦しくなった。

その後、息子は特に大きな問題もなく次の日には元気に家に帰ることができた。

予後診断のために後日、同じ大学病院を訪れた際に院内のコンビニで偶然また同じ親子に遭遇した。

病院を嫌がっていた息子の表情が晴れるのと同時に、嬉しそうな女の子の顔がわかる。

僕は先日は本当に助かったとお礼を言って、子ども達がお菓子を選んでいる間にまた少し世間話をする。

女の子は医療拠点病院に転院することになったということ。

その後も治験のために関西に行くかもしれないということ。

同じサイズの子どもが一緒にいると微笑ましいということ。

そんなことを話し、子ども達の「またあそぼうね」を口約束にしたくなくて、ママとSNSのアカウントを教え合った。

なんだか別れ際「普通の時間が嬉しかった」というママの言葉にいろいろな思いがこみ上げてきて泣いてしまった。

バカみたいに「ありがとう」と言った。

「がんばって」とはどうしても言えなかった。

親の在り方・人の在り方

ここまで書いてみて「いったいなにが言いたいんだろう?」って自分でも思っている。

でもこのできごとの後で僕は「家が落ち着くまで仕事を休もう」って素直に思えたのだ。

なにもいらない。誰にどう思われてもかまわない。今は家族と一緒にいたい。

心の底からそう思った。

2020年はこの件も含めて考えさせられる出来事が多く、自分の想像力の中での実感である「いのちの重さ」の重量が明らかに変わってしまった。

幼い子どもが誰ひとり幸せに取り残されない1日は、果たして存在するだろうか。

そんなことを考えるようになった。

生の喜びを回避して人生を薄っぺらいものにしていけば、僕たちは死の衝撃を和らげることができるのかもしれない。

でもそれでは友達と笑い合うこともないし、人にやさしくすることもできないだろう。

生きるってことは、不完全で、失われることがあらかじめわかっているにも関わらず、それでも幸せに向かって進んでいくことだ。

だから僕も苦しくても毎日ちょっとずつなにか書くことにしている。

その程度のことしか今はできることがない。

数ヶ月間、その女の子の病名を検索しない日はなかった。

なにか治療法はないだろうか?

なにかないのか。

なにか。なにか。なにか。

どんな方法でもいい。

なにかないのかよ。

なにか。なにか。ないのか。

たのむよ。

自分が親だったら多分狂ってる。

恐ろしい病気に小さな身体で立ち向かいつつ、人にやさしくできる存在のことを考える。

人として激しい劣等感を感じる。まだ間に合うだろうか。

手遅れなんて言っていられない。やさしくなりたい。あんなふうに生きたい。

そんなふうに思ってしまうくらい、子どもの手作りのやさしさは、本当に美しくて。

そんな美しい瞬間を受け取る贅沢が、果たして自分に許されるだろうかと。そんなことがあり得るだろうかと。

大人は子どもに、ただ赦され続けていく。

色々考えてみたけれど子育てや生活というものは、ただ地味な時間が勝手につながるものではない。

小さないのちが普通を感じられるように、それを守る人たちがやさしさでつなげる毎日が日常なのだろう。

以前の自分は”あたりまえ”を履き違えて「なんかよくわからないけどみんなそうしていること」ばかりに気を取られていた。

日常の中にいてくれる、目の前の子どもを見れていない瞬間があったように思う。

買い物中や公共の場所での子どもの笑い声に過剰に「シーーーーッ!」と、かぶせる。

本当はお調子者の息子が、とても大好きなのに。

子どもには笑っていてほしいと、いつだって親はそれを願っているのに。

「誰か」とか「何か」の視線に怯えて配慮する。窮屈な育児で自分を縛る。

でもこのとき、親が守ろうとしているのは、子ども自身ではない。

親が気にしていたのは、ペラペラの外的評価。

さらに言えばそれらは”ちゃんとした親ですよ”という意味のない空虚な世間へのアピールでしかない。

そんなダメな自分を自覚させてくれて、今日も息子の笑顔を守ってくれているのは、きっとあの女の子なのだろうと勝手に毎日思っている。

普通とか日常を共に生きるのに、時間や距離はさほど問題にならないのかもしれない。

僕は宗教をやっていないから、祈ったり願ったりする時間より、勉強したり何かに感謝する時間が増えた。

神様を信じていたら、もうちょっとじょうずに生きられたのだろうか。

いまさらそんな事を思ったりもしている。

まとめ

もうこんな時間。

ただの日記に最後まで付き合ってくれてありがとうございます。

今日はタイトルにもある通り、書くべきではないかもしれないこともたくさん書いてしまった気がする。

それでもこの数ヶ月間、ずっと考えてきた事を取り留めもなく吐き出させてもらいました。

なんだか肩の荷が下りたというか、完全に個人的なデトックスのための文章だったような気がする。

バーっと書いてみたけど、書き出すまでが精神的につらかったので後日談などはありません。

もう育休期間も終わるし、自分の中で区切りをつけたかった感情があった。

ただそれだけの話なのです。付き合わせて申し訳ないです。

そう言えば本文には書かなかったけれど、自分と子どもだけで行動しているとどんな場所に行っても「イクメンですね!」って言われるのだけれど、アレはもう本当にやめたほうがいいと思う。

社会的にどのような効果があったのかはちょっと詳しくわからないけれど、どう好意的に受け止めても「イクメン(笑)」みたいになっている。

もしくは「イクメン乙」みたいな。

もうすでに「イクメン」という言葉のポジティブさはとうの昔に失われて、嘲笑の対象に成り下がっていると感じる。

もはや「イクメン」→「中途半端に育児参加してる人」みたいになってる気がする。わはは。

ということで、今日は最後の最後まで”書くべきではないかもしれないこと”をテーマにお伝えしてきました。

知らない誰かにまた怒られませんように。

ひとにやさしくできますように。

今日はもう寝ます。おやすみなさい。

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