【さくらももこに学ぶ】存在を肯定されない子どもたち【育児の価値化】

目次

資本主義と子育て・条件付きの愛情について考える

子供に何も起きないようにしたら、子供は何も出来なくなるわ

ファインディング・ニモ/ドリー

こんばんわ。今日は”働かないシリーズ”で書くことのできなかったスマッホのメモの供養のための文章を書いていこうと思う。今回は主に育児のことについて。

いちおう子育て中の身なので、育児に関して考えている時間が長い。1日のほとんどの時間、子どものことについて考えているような日さえある。

今までも雑記記事の中で育児とか生活について考えてきたけれど、この辺のことを総合して考えてみると、子育てってものはキレイゴトだけで片付く問題ばかりではなさそうだ。

実際に未婚の友達からなんかは「結婚や子育てにメリットを感じない」という意見も多く聞くし、色々なケースを見ていく中で「子どもが大切でない親」は確実にいると感じる。

さらに言えば「子どもは大切だけど、愛し方を間違えている親」も思ったより多い気がしてくる。

今日はけっこうネガティブな内容になりそうなので、大好きなさくらももこ先生のイラストで中和しながら話を進めていこうと思う。

全てじぶんには関係のない他人の話だと考えたいが、なにもかもを人ごとにして人生をフルスイングできる者は少ない。

誤解を恐れずに思ったことを書いてみる。

さくらももこより
あわせて読みたい
【核家族と】イチローが育休を取った話【新型コロナ】 【徒然なるままに・育児とか育休について】 こんばんわ。 今日はただの日記みたいなものをダラダラ書いていこうと思います。 外に吐き出したい思いはあるのだけれど、ど...

自分は育児というものに関わる問題は、ほとんど全てが親の自分勝手であり、押し付けがましい行為であると考えている。

産まれてくる子どもたちは”生きること”の意味であったり”人生”に関しての考え方であったりの十分な説明をされないで、他者の都合で勝手に作り出されるからだ。そもそも人生の意味を理論立てて説明できる人間がいるのかは知らない。

これは出生主義とかの話でもよく聞かれることだけれど、生まれてくる前からその人生が確定的に悲惨であるか幸福であるかが決まっているのであれば、命の選別が進んでいくはずだ。

しかし、そんなことは倫理的に不可能だし現実にはどのように生まれても幸・不幸どちらの人生もあり得るわけで、現在の出生の是非に関しての価値観は「おそらく良いこと」という位置で保留されている。

この話を考えた時に命題の根拠として親以上の世代が語る「とはいえ子どもは可愛い」という理屈は個人のエゴに終始している。

それは当たり前の話で、子どもの可愛さは子どもが甘受できるものではないからだ。

この辺のことを冷静に考えていくと、本当に子育てってのは究極的に親のエゴイズムだな、という結論になってしまう。今のところのじぶんはそんな感じの考えかたを持っている。

育児中の気付きについて

育児をしていての気付きは本当に多く、その中でも教育というものは自分自身の器以上のものを他者に与えることができないことを思い知らされる。

親は自分の感性や人格以上のものを子ども与えることはできないし、持っている徳性がそのまましつけに反映される。

たぶん、どこの親も自分の持っているもの以上を子ども与えようとするので、人間は裏表のある存在になっていくのだろう。この意見もネガティブに過ぎるだろうか。

自分は男性なので、どうしても父親目線でしか育児を語ることができない。それでも日々、考えたり思ったりすることは多くある。

仕事を理由に育児から逃げる透明な父親は、その後の人生で絶えず妻により糾弾され、その罪を金銭によって補填しようと努めてきた。

しかし最近では”イクメン”なる言葉の意図的な流行によって「妻が手のひらの上で旦那を転がす」ことで育児の一端を担わせようとする風潮がある。「パパ育」なる言葉さえ生まれてきた。「パパ活」と混同して困る。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!

コメント

コメント一覧 (2件)

コメントする

目次
閉じる