松本人志の深夜ラジオ【放送室】ってもはや伝説だよな。
カプリチョーザ杯とか番組内のネタがもう最高なのよ!
こういった人向けの記事です。5分ほどで読める文章量。
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松本人志の放送室はいかにして伝説になったか?【神回紹介】
いきなりですが、ラジオはイチローの趣味の1つでリアルタイムに聞いてたものはハガキ職人として投稿も行なっていました。
その中でも大好き、というか人生を救ってもらった番組が松っちゃんと高須さんのラジオ「放送室」なんです。
しがないキッズでしかなかった自分は、ラジオの前でおっさんふたりの声に耳をすませたものである。
こんな面白いこと人生で起こるのかよ・・・みたいなことが中島がカツオを野球に誘う頻度で起こるすごいラジオなんです。
今日はそんなラジオ界の伝説的な番組について書いてみたいと思います。
『放送室』(ほうそうしつ)は、2001年10月4日から2009年3月28日までTOKYO FMをキーステーションに、AIR-G’を除くJFN37局ネットで放送されたラジオ番組。
『松本人志の放送室』とも呼ばれる。放送開始当初はJFNCが制作していたが、2005年7月にTOKYO FMに移行された。
Wikipediaより
【放送室】で松本さんと話す高須さんって誰?
放送は番組のオープニング曲であるHans Zimmerの「You’re So Cool」が流れてくるところから始まる。
マリンバ(ビブラフォン?)が特徴的なフェミニンな楽曲でふたりのトークがスタートする。
どうもー、松ちゃん○○でーす。 どうもー、高須ちゃん○○でーす。
おきまりの冒頭の挨拶は確か70回目くらいから。
放送室が始まった当初は、お互いに苗字を名乗るだけの非常にシンプルなものだったが回数を重ねるごとに松っちゃんの適当さが顕著に現れ出す。
「どうもー・・えぇ・と、松っチャバネゴキブリでーす。」
雑。実家のオカンがお好み焼きとソバメシを同時に出してくるくらい雑。
松っちゃんは即興でこのネタに挑んでいたらしく、このように雑なネーミングの回もあれば前回の高須さんのネタを丸々パクる回もある。
一方、高須さんの冒頭の挨拶は聴衆者からの応募の中から選ばれる事が多く、そのノベルティとして番組特製耳栓が配られた。
ラジオ番組で耳栓ってどうかと思うが、当初の予定では松っちゃんの家の水道水になる所だったのでリスナー的には良かったのだろう。
基本的に放送室という番組はコーナーなどは設けておらずに、松っちゃんと高須さんのフリートークのみで番組が進行していきます。
オープニングとエンディングを除くとかかる曲も1曲のみ(こちらも基本的に昭和歌謡)となっており、非常に硬派な番組構成。
「肩の力を抜いて話すことができる場所が欲しかった」という松っちゃんが、小学生からの同級生であり、ガキ使の放送作家である高須さんと始めたこの番組。
もともと友人同士なのに話す機会が減ってしまったので、仕事としてトークしようと思い立ったことがラジオ共演のキッカケだったそうな。
番組開始当初はフリートークとはいえお題が必要との事で、50音順で毎週決まったお題について2人でトークしていたのだが、番組が50回を大幅に超えたため最終的には本当の意味でのフリートーク番組になった。
フレンドリーの出どころがわからん番組は聞いていて疲れるけれど、このふたりは地元の同級生ということもあってすごい自然な空気感で話していたように思う。クラスの面白い2人組の会話を横で聞いてる感じ。
放送室で話した幼少期のエピソードがそのまま”すべらない話”に昇華されていたりして、やっぱり松っちゃんの原点は尼崎であり、フリートークこそが最強の芸だとこのラジオを聴いていて感じる。
【放送室】の名物キャラクター・ネタについて
松っちゃんは番組開始当初のコンセプトとして「誰にも(ラジオのことを)言うな」と発信していて、ラジオだからこそできる笑いを実現したかったようだ。
番組中に「この番組を聞いている人間は日本で12人ほど」と語っている。
しかしその意に反して2人の歯に衣着せぬ発言によって業界内の聴取率はドンドン上がっていくことになる。
会話の内容はお互いの近況報告が中心で、高須さんも制作に関わっているダウンタウンの番組のスタッフ裏話や、2人の少年時代の尼崎話など同級生ならではのトークで終始する。
こういった話題が中心のフリートークなので、裏方の番組スタッフや一般人である尼崎の同級生の名前など、一般には知られていない人物名が挙がることも多い。
そういったタレントではない人物が、放送室の名物キャラクターとなって番組自体に非常に深い味わいをもたらしている。うーん。良さみが深い。
ダメな後輩キャラクター代表の山下しげのり
山ちゃんの嫁のあやちゃん
2人の同級生のサットン、ワンチャン、藤井、そして森岡のおっさんや黒清水
それぞれのキャラクターにノンフィクションのおもしろ話があって本当に腹を抱えてラジオを聞いていました。
人間の欲望は本当に複雑で高次的だし、笑いの先の先の先を行くニッチな欲望に答えていた稀有なラジオ番組だったと回想していて改めて思う。
全国で「松っちゃん!ウヘヘッ・・」「高須ちゃん!デュワ・・」などとラジオの前で童貞が不敵な笑みを浮かべていたことであろう。
もちろんミートゥーよ。ミートゥー。ミンナトモダチ。
【放送室】のカプリチョーザ杯・名言について
基本的には2本録りであるが、インターバルをほとんど取らない事を公言していて、松っちゃんが疲労を口にすることもある。
3本録りの場合、「横蹴り3本シュート」等と称し、疲れている様を隠そうとしない。どれだけ自然体やねん。
「もう話すことないわ・なんかない?」に終始していたかと思えば、ノってくればそこはプロ。肉体的な疲れは感じさせない盛り上がりを見せるのはさすがである。
どれだけ長時間話しても、頭の中に歩いたことがないルートがある。
話題の中で瞬時に人の知らない道を選べる技術ってほんとにすんごい。平成のたしなみとして残しておきたい、もはや伝統話芸だ。
いやこれは褒めすぎたな。宇宙レベルで言えば、ただおっさんがふたりダラダラ話しているだけである。
そういえば例外的に放送室内で設けられたコーナーとしてカプリチョーザ杯がある。
番組内で松本さんがカプリチョーザについての話をしたことで、後日カプリチョーザから食事券がプレゼントされた。
松っちゃんはこれを優勝商品とし、カプリチョーザ杯として電話による後輩芸人のダジャレ大会を企画。
以後、この大会は不定期に開催され、毎回カプリチョーザから賞品の食事券が提供されている。
参加者は事前に与えられたテーマに関する言葉を松っちゃん・高須さんとの電話の会話の中で織り込み、織り込んだ言葉の数と面白さを競うというもの。
もともとは北の家族などの大衆居酒屋で芸人同士で行われていた大会であったこの催しは番組内で好評を博す。
カプリチョーザと笑いを組み合わせるインスピレーションってなんなんだ。天才か。
イタリアの風が吉本に吹いた瞬間である。
「単純なものは面白い」ってことでこの企画をそのままテレビ化したのが「人志松本のすべらない話」だったりする。
よって「ほっしゃん」や「宮川大輔」は「すべらない話出身」なのではなく、松っちゃんが2人を見出した、カプリチョーザ杯・出身が正しい認識なのだと思う。
お決まりの強がりを言っちゃうくらいどうでもいい情報を書いてしまった。
その他、普段、相方の影に隠れがちな芸人であるDonDokoDonの平畠さんや千原兄弟のお兄ちゃんにスポットが当たる企画としてファンに親しまれる側面も。
「ただいま元気に酢橘ちゅう」や「パンジーずらしたい」の名言もここで生まれたのだ。
【放送室】の最終回について
そんな放送室も2009年3月7日放送分にて、3週間後の28日放送分をもって終了することを発表。
松っちゃんはその理由として、本番組以前から長年にわたり近況やプライベートを明かしていたことを挙げ、個人情報をさらけ出す環境から一旦距離を置きたかった趣旨の発言をしている。
その他、松本さんは倖田來未さんのラジオスキャンダルに便乗した、硫化水素自殺に関しての松っちゃんの発言の曲解した報道に強い憤りを感じたそうで・・
「あれはこの番組を続ける気が無くなった大きな理由の1つ」と語っています。
また「結婚」を決めたことも辞めた理由として後に語っている。
そういった総合的な理由があり、惜しまれながらも数々の名言を残して「放送室」は7年半の放送に幕を降ろした。
ちなみにエンディングテーマは7年間変わることなくジョー山中さんが歌う、映画「人間の証明」の「人間の証明のテーマ」という曲でした。
今でも全放送分CDとして発売されている珍しい番組である「放送室」。
それだけ最終的にはリスナーも増えて需要があるということでしょう。
興味が出てきた方はyoutubeなどにもアーカイブされているので、松っちゃんの怒りと笑いが織りなすトークの世界を感じてみてくださいね。
ちなみに放送室をまとめて聞くならまとめ買いがお得です。
今日は最後まで読んでもらってありがとうございました。
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[…] ラジオでハガキ職人やってたでしょ〜、吉田拓郎弾き語ってたでしょ〜、ガバス集めてたでしょ〜。 […]