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性癖というダミー・ポーティスヘッド考察【暗い音楽】
友だち3人で、一つの部屋で音楽をプレイするのがピーク。そうすると14、15歳に戻ったような気になれるんだ。すごく楽しい。スポンサー企業を心配する必要もないし、もうそういうのを無視してるんだよね。通過してしまったというか。/ジェフ・バーロウ
「好きな音楽はなに?」のベストアンサーはなんだろうか。
たぶん大多数の人が、その場で本当に好きな音楽を公言することは無いと思う。好きな音楽は性癖みたいなものだから。
意識しているにせよ、していないにせよ、多かれ少なかれ相手に合わせて答えを選んでしまうことが多いはずだ。
自分は人とそんな話をしていると、その場で誰も知らないアーティストや専門用語を出してしまって相手を置き去りにしてしまうことがあるんだけど、そんな折には決まって自己嫌悪に陥る。
ひとり脳内大反省会は30年余りの人生の中で、ゆうに2000回を超えた。そんな俺のために緊急で衆議院本会議を開いてほしい。
つまるところなにが言いたいのかというと、今回紹介する【ポーティスヘッド】ってバンドは「好きな音楽はなに?」のアンサーには全く適さない音楽であるってことだ。
仲の良い友達と家で飲んでる時なんかにシレッとかけて様子を伺いたい音楽。
彼女とベットの中でまどろんでるときにサラッと打ち明けたい性癖みたいな音楽。
視野が遠いサウンド。規模がでかい思想。インスタントなコミュニケーションにはとにかく不向きな音楽。
まったく本当に俺ってやつはめんどうな性格をしている。めんどうな性格をしているおかげで今回もリード文が書けた。なかなか幸せな人生だった。
ポーティスヘッドはイギリス・ブリストル出身で、90年代の同時期に【マッシブ・アタック】とともにトリップポップってジャンルを確立させた前衛的なバンドとして知られている。
トリップポップってなに?って人も多いと思うけど、ポーティスヘッドの音楽の要は「暗くてゆるい曲調・中毒性のある歌声」。
これがいわゆる”トリップ”する”ポップ”なのです。は?
なんというか、ライブ見てしこたまハイボール飲む打ち上げして明日も朝から仕事だやべえはんぱねえ、な感じのバンドではない。聴いてしまうと強制的に考え方の幅が広がってしまうような、そんな音楽。
もうちょっとリズムがあった方が聴きやすいとか、クラブミュージック寄りの音楽が好きな人は、マッシブ・アタックの方を聴いてみるとこのジャンルの良さが伝わるかもしれない。
俺がこのバンドを人に勧めるのに抵抗を感じてしまうは、学生時代のトラウマがありましてね。
気軽に「あ〜、俺、めっちゃポーティスヘッド好きかも〜・・・」って言っちゃってからさ。
クラスの友達にサイコパス扱いされたことが原因としてあるんです。とても悲しい過去です。
俺をサイコパス扱いした友達とは今でもたまに会うんだけど、今聴いても「ポーティスヘッドはなんつーか、ゾッとするから嫌い」なんだそうだ。
うん。まぁ、これはわかる。ポーティスヘッドが大好きな俺にでも、よくわかる。
背筋が凍るような、心地よさと不協和音のスレスレを通っていく音楽。底の見えない井戸の中を覗いているような漠然とした恐怖と不安。
そのような感覚の中で、その友達がポーティスヘッドを脳内の【二度と聴かない音楽カテゴリ】の中に封印してしまっても無理はない。
だからこの文章を読んでいる人が、もしこの後ポーティスヘッドの音楽を聴いてくれたとして、「あー、嫌いっすわ」となっても、俺は全然かまわない。むしろ健全だなとすら感じる。
それでもあえて書こうと思う。何度も聴くうちに、あらゆるフェーズから精神の隙間に侵食してくる音楽について。
耳に入る日のコンディションによって、猛毒にも、快楽にもなり得る、ドラッグのようなこの性癖について。
最初はきっと不安に掻き立てられるだろう、でもその不思議な魅力から逃れられない。
目が離せない闇の向こうに何かの存在を感じる。ふと、そこから抜け出せなくなっていることに気付く。
あなたの精神はどんどん尖っていって、正しさなんかすぐにいらなくなるし、いつの間にか求めるだけの生き物になれる。
ひとりなら一直線の欲望になって月面に突き刺さればいい、ふたりなら泥みたいに溶け合えばいい。なんだかロマンチックな夜だ。
かつて人間だった、直線や泥たちに告ぐ。【ポーティスヘッド】というバンドはもうすでに、あなたの中で代えの効かない唯一無二の音楽になっているはずだ。
ポーティスヘッド(Portishead)は、イギリスの音楽グループ。1991年にブリストルでボーカルのベス・ギボンズと作曲担当のジェフ・バーロウによって結成され、後にギタリストのエイドリアン・アトリーが加わりトリオとなった。バンド名は、ジェフが育ったサマセットの田舎町ポーティスヘッドに由来する[1]。
wikipediaより
ポーティスヘッドのバンドメンバーについて
ポーティスヘッドの中心人物は【ジェフ・バーロウ】というトラックメーカーなんだけど、この人、バンド結成前からレコーディングスタジオでアシスタントとして働いていたそうな。
どーりで親近感わいちゃうわけだ。かくいう筆者も、社会人デビューはレコーディングスタジオ勤務だった。
もともとプライベートな時間を使って自らのトラックを作っていたジェフが、その音楽に歌をつけてくれる人を募集したのがポーティスヘッドの始まりだったってわけです。
今回のこの記事は、びっくりするくらい登場人物が少ない。ポーティスヘッドってバンドはムーミン谷のような場所で生活しているのだろうか。
ジェフがこのバンドの唯一無二のフロントマン【ベス・ギボンズ】と出会ったのはブリストルのパブ。そのハコでシンガーとして出演していたベスに声をかけた。
ふたりは以前よりシンプルでソリッドな音楽を好んでいたため、お互いを理解し合うのにさほど時間はかからなかった。
自分たちの解釈のミニマルな音楽を追求するため、1991年にポーティスヘッドが始動。ファーストアルバムの製作のため、ジェフの友人であったギターの【エイドリアン・アトリー】が加入。
ベスとエイドリアンはレコーディングスタジオで初めて顔を合わせたため、製作に関する意思疎通がほとんどできなかったそうな。ベスの繊細な性格がうかがえる逸話である。
ってことでそんな3人のメンバーの紹介を少しだけ。
ボーカル ベス・ギボンズ
イギリス生まれ、イギリス育ちのシンガー、ベス。ポーティスヘッドでは作詞も担当。
先述したように1991年にパブで歌っている時にジェフに声をかけられ意気投合。ポーティスヘッドを結成。
トリップポップの歴史うんぬんはさておき、ポーティスヘッドの音楽が唯一無二な理由はこの人の歌声によるところが大きいです。
公言している好きな音楽は、ピクシーズ・コクトーツインズなど。
タバコを片手に煙を燻らせながら歌う姿だったり、イギリスのパプでシンガーとして活躍していた過去だったり、なんだか矢沢あいの【NANA】を思い出してしまう。
オマージュだったりするんだろうか?
トラックメーカー ジェフ・バーロウ
イギリス出身の音響エンジニアであったジェフ。作曲もするしDJもやる音楽狂。
パブで歌うベスを見出し、ギターのエイドリアンと引き合わせすぐさまポーティスヘッドを結成。
行動力すごい、Amazonお急ぎ便並みのスピード感。できる男は仕事が早い。
今でも編集エンジニアとして活動しており、ポールウェラーとかプライマルスクリームのリミックスを担当。
プロデューサーとしてはホラーズを担当していたりもする。
ギター エイドリアン・アトリー
やはりイギリス出身のエイドリアン。ポーティスヘッド結成より前からジェフの知り合いの音楽プロデューサー。
1991年にポーティスヘッドの1stアルバム制作のために合流。もとよりジャズ色の強いギタープレイヤーだったエイドリアンは、ポーティスヘッドの音楽に立体感を与えた。
ライブで19本のギターやオルガンを駆使するなど、かなりの変態。音響おたく。
誤解されるとアレだからいちおう言っておくけど、これはすごく褒めてる。
ポーティスヘッドのアルバム・おすすめ曲
ここからは時系列順にポーティスヘッドのおすすめトラックを紹介してみようと思う。
どの楽曲も煌びやかな装飾は皆無で、色で言えばモノトーン。
極限まで贅肉を削ぎ落としたアレンジとサウンド。ベスの精神を揺さぶるようなボイス。
ポーティスヘッドの全てのトラックは、ギリギリ成立するポイントのアンサンブルで作られている。構成も、コードも、メロディも。
そのギリギリの緊張感がたまらなく心地よい。張り詰めているのにダウナーでゆるい。
蜃気楼の中で見る夢のような、あるいは極限の寒さの中で感じる目眩のような。
俺はそんな音楽たちに、心の中心を撃ち抜かれてしまった。
自分の特技はもともと、きのこを食べずに無限に幻覚を見れることだったので、ポーティスヘッドとは最初からウマが合った。
聴くたびに知らない世界へ連れて行ってくれる中毒性が、他の誰かにも伝わるといい。
1stアルバム「Dummy」から【sour times】【Roads】
1994年にリリースされたポーティスヘッドのファーストアルバム【Dummy】。クッソ暗い。めっちゃすっき。
とりたててプロモーションなども行われずに口コミで広がり、1995年のマーキュリー賞を取ったクールすぎるデビュー作。
偏屈な業界の批評家たちからも高く評価され、まだ耳馴染みのなかったトリップポップという言葉を世界に浸透させた主犯的な作品。
イチローはグランジ世代なのでこんなセリフは耳タコなんだけど、擦られまくった表現をあえて使うなら、90年代のロック史においてニルバーナの【ネヴァーマインド】と並んで、最も重要なアルバムだと思える。
「まだ見ぬ映画のサウンドトラック」などと評され、リリース後には世界の各賞にノミネートされたこの作品によって、バンドを取り巻く環境が一変。世間からの評価の声が3人の重くのしかかるようになった。
とりわけ繊細なベスは度重なるインタビューなどで精神を消耗してしまい、2ndアルバム以降の作品ではほとんど受け答えしなくなってしまう。
想像だにしない大きなプレッシャーから、バンドは一時活動を休止することになる。
今でもこのアルバムがかかるたびに、俺の頭の中には仄暗い90年代がフラッシュバックし続ける。トリップポップっていうジャンルの金字塔的名作。聴くべし。あ、すみません偉そうに。
2ndアルバム「Portishead」から【Only You】【All Mine】
1997年リリースの2ndアルバム。【Portishead】です。完全に個人的な偏見だけど、2ndがセルフタイトルのバンドはイケてることが多い。
もともと暗かったサウンドの闇が、今作では完全な漆黒に染まっている。一寸先も見えない闇に染まった不安を掻き立てるサウンドは、背筋が凍るほど美しい。
2ndのような人間の闇を煮込んで、さらにエグみを加えたようなアルバムが、イギリス本国でチャート2位。ビルボードで21位に入ったというのだから興味深い。
90年代後半、世界は混沌に包まれていたのかもしれない。そう言えばノストラダムスの大予言とかあったもんなー。
1stアルバムの反動もあってか、この2ndアルバムを出すまでの3年間、バンドはほとんどメディアに顔を出すことはなかった。
その間、3人各々がそれぞれの闇を磨いていたわけだ。ベスの歌声はより慈悲深く、ジェフのアレンジはより壮大になった。エイドリアンのギターひとつ取ってみても、そのサウンドは荒々しい凄みを感じさせる。
このアルバムからジェフはストリングスを多用するようになり、ライブもオーケストラを率いて行われるようになる。
しかし作品のリリース直後からますますバンドの注目度は上がり、デニムの破け方やアンサンブル・サウンドの加減、ライブ中の表情・仕草、プライベートな人間関係・あらゆるものの具合をメディアに注目された3人は消耗。
やはりというかなんというか、またもやポーティスヘッドは長い沈黙期間に突入する。
3rdアルバム「Third」から【Silence】【Machine Gun】
2ndアルバムからおよそ10年の歳月を経て完成した、3rdアルバム【Third】は2008年の作品。
トリップポップの申し子だった彼らがヒップホップを貪欲に取り込んで、クラブカルチャーの怪物になった作品。
1st・2ndで使用されていたアレンジ・手法は軒並み排除され、クラウトロック寄りになっていくその姿は、後のアークティクモンキーズやストロークスの道しるべになったように思う。
ただ俺みたいな偏差値の低いアホアホロッカーがこの3rdアルバムに集中してしまうと、脳内でサーキットベンディングが起こってしまう。
集中すると頭から小さくピーーーって音が聴こえてきて、考える出力を上げるとジャーーーってなる。注意!
考えるな、感じろ。あ、また偉そうにすみません。
長い沈黙を経てこの作品がリリースされるとプレスが報じた時は、イギリスではそりゃもうお祭り騒ぎだった。
リリース直前の「All Tomorrow’s Parties festival」に登場し、このアルバムから5曲演奏。客席では気絶者が続出した。
このジャンルに理解のない人には全く意味のわからない現象であると思うが、そのくらいイギリス国民はポーティスヘッドを待ち望んでいたのだ。
2022年現在においても、このバンドの最新作はこのアルバムになっている。トリップポップは2008年から眠ったままだ。
性癖というダミー・ポーティスヘッド考察【まとめ】
今日はイチローの性癖である【ポーティスヘッド】ってバンドについて書いてきました。
俺は音楽・人間に限らず「自分にしかわからないんじゃないかな?」って思える魅力にめっぽう弱い。
このバンドがダークでクールなのは聴いてもらったとおりなのだが、その魅力は一筋縄ではいかない。多くの人が拒絶してしまいそうになる危うさに強力に惹かれてしまう。
今回、音楽の趣味を「性癖」と例えたのにはここに理由があって。
人が心酔してしまうフェチズムを言葉で説明することが困難なように、ポーティスヘッドの不思議な魅力を言語化するのはとても難しく感じたのだ。
いまさらこんなこと言っても仕方ないことだけれど、この記事は一年以上ダッシュボードの下書きに眠っていた。
今でも、折に触れてポーティスヘッドを聴きたくなる。
心を許せる誰かと聴くのもいいだろう。最初に書いた通り、親友や恋人に自分の精神の核を預けることができたら、それはきっと素敵な体験になるはずだ。
あるいは、ひとりきりで闇に沈んで聴くのもいいだろう。正体の見えない感傷に足を取られそうになる夜を、彼らの音楽と共に何度も超えてきた。
心を開くというのは、音楽を聴く上でとても大切なスタンスだと思える。
ポーティスヘッドの曲は単純に【暗い】のではない。これを好んで聴いていた大多数の人間が性格的に【暗い】のだとしても、その人間たちも間違いなく【暗い】だけではない。単純にそれだけではないのだ。
それらは見る角度を変えると美しかったり、綺麗であったり、転じて禍々しく、恐ろしかったりもする。性癖と一緒だ。
リスナーたちは唯一無二のコントラストを持つポーティスヘッドの音楽に、自分たちの神経症的な繊細さを重ねていたのかもしれない。
そのために—–自己を投影するために—–受け皿としての役割をバンドが与えられていたのだとしたら、そのほとんどの曲の異常な【暗さ・禍々しさ・重さ】の説明になり得るだろう。
いつかあの友人が感じた漠然とした恐怖の正体が、実は自分自身に内在するものだったとしたら。
今は自らに安らぎをもたらす音楽になっていたとしても、なんの不思議もない。
俺たちは変わっていく。人は変わらずに生きていくことはできない。
ポーティスヘッドを聴いて、いつかまた違う音が聴こえてくるなら、それは新しい性癖をみつけるチャンスなのかもしれない。