【過去作品】”ひぐらしのなく頃に業”ネタバレ考察その2・綿騙し編【との違い】

考察してみた

ぷはぁ。こんばんわ。

今日は“ひぐらし業”のつづきを書いていこうと思います。

旧作の”綿流し編”は魅音の双子の妹である詩音が雛見沢症候群を発症。

部活メンバー以外でも村の村長を手に掛けるなど残虐非道の限りを尽くします。

そんでその”綿流し編”のリブートが”綿騙し編”というわけです。

とはいってもこのリブート。そもそも”綿流し編”の原因であった”圭一が人形を渡す相手”からして違ってくるので、旧作に重ねてみて話の筋が違っているのは当然のような気もする。

(”綿流し編”は圭一が人形をレナに渡すことでルート入りする。”綿騙し編”は人形を魅音に渡しているため、詩音が雛見沢症候群を発症するのは不自然に感じる)

まぁそれでも回を追って過去作品との相違点を見ていけば何か新しい発見があるかもしれない。

というわけで今日は”ひぐらしのなく頃に業”の二つ目の惨劇。”綿騙し編”についてです。

『ひぐらしのなく頃に』(ひぐらしのなくころに、When They Cry)は、同人サークル『07th Expansion』によるコンピュータゲーム作品である。

ゲームジャンルはサウンドノベル。監督・脚本は竜騎士07。正式なタイトル記述は『ひぐらしのなく頃に』と、「な」が赤文字で表記され、日本国外の言語でもこれに準じて表記される(例:When They Cry)。『ひぐらし』と略されることもある。

Wikipediaより

第5話 綿騙し編 其の壱

アニメ”ひぐらしのなく頃に”より

今回の新作である”綿騙し編”と過去作品である”綿流し編”の大きな相違点としては、やはりゲーム大会での商品である人形を圭一が魅音に渡すことだろう。

過去の惨劇である”綿流し編”はこの人形をレナに渡したことがキッカケで起こったのだから。

リブート版の”綿騙し編”も旧作と同じく、町のおもちゃ屋さんで開かれるボードゲーム大会から物語は始まる。

圭一が興宮のファミレス「エンジェルモート」に行って詩音に会う流れだったり、詩音(のふりをした魅音)が圭一にお弁当を作ってきてくれる流れの中に若干の相違点はあるけれど、基本的には旧作の枠にそった形で”綿騙し編 其の壱”は進んでいく。

圭一が不良に囲まれて町のみんなが集まってきて助けてくれるところも一緒。

そうなるとこの回でのポイントとなる出来事は、やはり“圭一の人形を渡す相手が魅音だった”というところだろう。

その中で、なぜ詩音を起点とした惨劇が起こり得るのだろうか?というのが”綿騙し編”のキモなのかもしれない。

第6話 綿騙し編 其の弐

アニメ”ひぐらしのなく頃に”より

“綿騙し編 其の弐”では雛見沢の年に一度のお祭り”綿流し”が行われる。

その中で圭一は詩音に誘われて、鷹野・富竹と共に村の聖域である祭具殿に入ってしまう。

この回の一連の流れの中で圭一は雛見沢村の歴史と語り継がれる黒い噂を知ることになる。

雛見沢の人たちとの出会いや経験の中で、村の歴史を知っていく圭一。

それでもまだこの段階では魅音と詩音を見分けられずにいた。

魅音・詩音との会話や、鷹野・富竹との会話の流れも旧作である”綿流し編”とほとんど変わらない”綿騙し編 其の弐”なのだが、明確な相違点としては“梨花の奉納演舞を見ていない”ということだろう。

“綿騙し編”は梨花の演舞の最中に祭具殿に忍び込んだが、旧作の”綿流し編”では梨花の演舞を見終わった後に祭具殿に入っている。

(祭具殿に入る流れは新作・旧作ともに大した違いはない)

この辺の些細な違いがなにか物語に影響してくるのだろうか?

第7話 綿騙し編 其の参

アニメ”ひぐらしのなく頃に”より

祭具殿の中で知ることになった、雛見沢の恐ろしい歴史に戦慄する圭一。

聖域に忍び込んだ挙句、中にあった像を傷つけてしまい”村の祟り”の最有力候補になってしまったことを激しく後悔する。

ここまでは旧作とストーリーに大差はないが、鷹野・富竹が失踪する描写が描かれるなど、”綿騙し編 其の参”から過去作品とは違った独特のストーリー展開を見せていく。

“綿騙し編 其の参”はとにかく梨花ちゃんが怖いです。

祭具殿に忍び込んだ後、梨花ちゃんに圭一は自分の罪を認めるのは旧作も一緒なのだが、今作の梨花ちゃまは予想外の惨劇パターンに余裕をなくしている様子。

(圭一に人形を魅音に渡すように促したのにも関わらず詩音が発症してしまったのだから)

そのほか相違点としては、綿流しのお祭りの後日、鷹野・富竹があっさりと死んだことになっているのが従来の流れだったのだが、今回の”綿騙し編”ではふたりは”失踪”したことになっていて、しかも丁寧に軽トラックで走り去る姿まで目撃されている。

梨花の言う「死体が見つかっていないのは珍しいが、ふたりはもう死んでいる」というセリフから推察するに、繰り返し起こる惨劇の中に”綿騙し編”の流れのパターンは存在しなかったのだろう。

さらに続けて「詩音はまだ生きているが、それが良いことかどうかは分からない」というセリフはやはり旧作の”綿流し編”のことを指している。

当たり前だけど梨花は”綿流し編”の犯人が詩音であることを知っている。

ただこの段階では原因のわからない惨劇の流れに梨花も戸惑っているのだろう。

なにせ重ねてにはなるが”人形の件”がある。

(紛らわしいけれど人形自体はどうでもよくて魅音の好きな人は生きてるのに・・・と詩音が思ってしまうのが”綿流し編”の惨劇の原因だった)

つまりは”綿流し編”の解答である”目明し編”にあるような「悟史を原因とした詩音の雛見沢症候群の発症」というパターンでの説明がつきづらい。

“綿騙し編 其の参”はこの辺の謎がポイントとして散りばめられていると感じる。

第8話 綿騙し編 其の四

アニメ”ひぐらしのなく頃に”より

“綿騙し編 其の四”になると、もはや”綿流し編”とは全く違った惨劇の姿になっていることが明確にわかる。

魅音・詩音・梨花・沙都子の死に方が大きく違うのに加えて、圭一が園崎家に監禁されるという新しい展開になる。

薄れゆく景色の中で最後に圭一の見た作業着姿の男たちは一体何者だったのか。

“綿騙し編 其の四”にもひぐら史に残る名言「違いない・違いない・違いない・違いない・違いない・・・ガチャガチャガチャガチャ」が出てきます。

いくらひぐらし好きでも脚立をガタガタやると危ないし、友達に気持ち悪がられるから注意してください。

ただこのシーン、旧作とは全く違う状況で出てきます。

旧作では”夜に梨花と沙都子の家で”。

本作では”昼に学校の校庭で”起こるのだから驚きです。

そのほか相違点としては先述したような部活メンバーの死に方が若干違ってきますが、大きく違うのはやっぱり梨花ちゃん。

他の人間が若干の違いこそあれ”綿流し編”と同じ園崎家で犠牲になっているのに比べて、梨花ちゃんの遺体が発見されるのがなんと学校の便槽。

(旧作では村長やお魎に加え、他のメンバーと同じく園崎家で最期を迎える)

第8話までの”ひぐらし業”のポイントをまとめてみると“惨劇のパターンを無視して梨花や沙都子を狙う者がいる”ということがなんとなく見えてくる回なのかもしれない。

“鬼騙し編”の時も書いたけれど、ひぐらしの中でよく言われている”ルールXの回避”としての有効手段である仲間同士のコミュニケーションが今回は機能していない。(人形の件)

更に言えば雛見沢大災害、つまり”ルールY”と言われている「鷹野三四の強い意志」の介入も認められない。

だって”ルールY”が動いているのだとすれば確実に梨花は1983年6月21日深夜から22日早朝にかけて殺されるはずなのだから。

“ひぐらしのなく頃に業”綿騙し編・綿流し編の相違点・まとめ

はい。ということで今回は”ひぐらしのなく頃に業 綿騙し編”についてまとめたり考察したりしてきました。

第8話の”綿騙し編 其の四”まで観てみると考察してきたように”ルールXとルールY以外の要素”が浮き彫りになってきます。

もっと簡単に書くと「雛見沢症候群の発症者」やら「雛見沢大災害を起こそうとする人物・機関」以外の”なんらかの意志を持った人物の存在”というところでしょうか。

この”なんらかの意志を持った人物”は誰なのでしょうか?

なぜその人物は、惨劇に惨劇を重ねる形でこの世界をループさせているのでしょうか?

現段階ではまだヒントが少なすぎます。次は“祟騙し編”の考察でお会いしましょう。

コメント

  1. […] 今日はこんなところで。次回は“綿騙し編”の考察でお会いしましょう。 […]

  2. […] 今日も前回に引き続き“ひぐらし業・祟騙し編”についてです。 […]

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