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ゆらゆら帝国が音楽史に残した空洞・おすすめ曲11選【解散した理由を考察】
「空洞です」の先にあるものを見つけられなかったということに尽きると思います。ゆらゆら帝国は完全に出来上がってしまったと感じました。/坂本慎太郎
ゆらゆら帝国に出会ったのは俺が高校一年の頃。クラスメイトから貸してもらったCDの中に【ゆらゆら帝国III】が紛れ込んでいたことがキッカケであった。
一聴した瞬間「ぐにゃ」っとした感覚が頭をかすめ、その次の瞬間、ファズギターの音に血が湧くような感覚を覚えた。
その頃の自分は、ブックオフで100円で見つけた「必聴!ロックの名盤100選!」みたいなアホアホな本を読んで、TSUTAYAで片っ端からそれらを試聴して音楽を知った気になっていた。
あれのせいで俺は30を過ぎた今もアホアホなんじゃないだろうか。
いや、「伊集院光 深夜の馬鹿力」とか「ヘビメタさん」とか「ポンツカ」のせいのような気もする。
たぶん「極楽とんぼの吠え魂」とか「ROCK FUJIYAMA」とか「ナイナイのANN」のせいのような気もしてきた。
話をもどす。
そのまま「名盤100選!」みたいな流れでゆら帝を聴いていたら、記憶の隙間から滑り落ちていくだけの音楽になっていたかもな。
そういう意味で、音楽との出会い方やタイミングってのはかなり重要だと思える。
最初にゆら帝に出会ったのが、アイツが貸してくれた【III】で本当に運が良かった。
ちょうどはねトびで「すべるバー」が使われていた頃だったなぁ。関係ないけどいちばん好きだったコントはニートvs.母親です。
ゆら帝がデビューした90年代、巷で噂の感度の高い音楽といえば、サンプリングを駆使したおしゃれなループサウンドだったり(ベック・ビースティー)60’sガレージロックを見直したものだったりした。(ハイヴス・リバティーンズ・ホワイトストライプス)
日本で言えば前者がフィッシュマンズ・小山田圭吾。後者がブランキーやミッシェルなどだろうか。
いずれにしてもそれぞれが皆、音楽を現代仕様にチューンナップしようと躍起になっていた時期で、音域の幅は広いほどよく、低域の再現度が重要視されていた。
その中において、ゆら帝の「スカスカ感」はかなり異質に思えた。思えば、スリーピースバンドの本質的な魅力を体現できた貴重な経験だったのかも。
それは当時の音源やライブを観ていても明らかで、このバンドを語るときに「スカスカ」「シンプル」「ソリッド」みたいな要素はとても重要だ。
3人だとスカスカ。4人だとちと重い。バンドってなんだか地元の友達とつるむのによく似ている。
あれから20年。彼らが解散してしまった今でも、ゆら帝がどのような存在であったのか俺は掴みきれていない。
最初に聴いたゆら帝のCDが【III】で良かったというのは、このアルバムがキャリアを通じて最もポップで、かつエッジぃからだ。
彼らの音楽にハマって、歴史を遡ったり、あるいは新譜を聴いていく中で、初見で聴いた「ぐにゃ」っとしたイメージはどんどん増長していった。
どれを聴いても抽象的な歌詞ばかりで、現実の思いなどは一切楽曲に反映されない初期。
ソリッドでシンプルなサウンドはそのままに、リスナーを置き去りにしようとするかのようにどんどんサイケデリック方向に尖っていく後期。
気がつくと俺はファズの悪霊に取り憑かれてしまっていた。織田無道に頼んで祓ってもらったのはいい思い出。きえ~!
あまり低音をズッシリと出すのは好きじゃないんです。外側がサクサクしていて、内側がドロリ、みたいなのがちょうどいい。/坂本慎太郎
ゆらゆら帝国がデビューして【III】がリリースされるまでの間、邦楽ロックシーンもめまぐるしく変わっていった。
先ほど例で挙げたブランキーが2000年に解散。「97年組」と呼ばれたナンバガ ・くるり・スーパーカーたちがシーンの顔になっていく中、ミッシェルも2003年にその活動に終止符を打つ。
ロックの本質的な良さを研ぎ澄ませていったバンドたちは可能性に限界を感じ(あるいは予定調和に嫌気がさし)解散したり活動を休止したりしていった。
ロックを変化させて自分のものにしようとしたバンドたちは、他のジャンルとの融合を試みてエレキギターを捨てていった。
そのようなシーンの中でゆら帝のスタンスは一貫して、生のロックバンドだった。生のロックバンドそのものでありながら、どのアルバムにおいても新しいロックの未来を模索していた。
新譜が出るたびに、そういえばロックバンドってこんな感じだったよなって思い出させてくれた。
その姿はロックを志す若い世代に、あまりにもクールに映ったに違いない。
多くを語らず、ただひたすら職人のようにロックを生楽器で作っていくゆらゆら帝国の3人に、俺たちバンドマンは励まされ続けた。
寡黙すぎるこのバンドは、謎のまま登場し、謎のまま評価され、謎のまま解散してしまった。
いま思い返してみても、霞んだ景色の向こうから、ファズギターとマラカスが聴こえてくるだけだ。
今日は最後の最後までよくわからなかった【ゆらゆら帝国】というバンドについて、目を凝らし、舌で舐め、咀嚼し、喉越しを感じてみようと思う。
たとえその先にあるのが、ただの空洞であったとしても。
ゆらゆら帝国(ゆらゆらていこく)は、日本のロックバンドである。1989年結成。2010年解散。略称はゆら帝。
wikipediaより
ゆらゆら帝国のバンドメンバーについて
いちおうこのブログは検索流入を想定して書いているので、最初はバンドメンバーの紹介をしてみようかと思います。
【ゆらゆら帝国】ってバンドはボーカルの坂本さんを中心に結成。発足当時、坂本さんは大学生でメンバーは4人構成だった。
界隈ではこのころから一目置かれて褒められてたみたいだけど、自己満足感的には微妙だったみたい。なにかのインタビューで読んだ。
中央線沿いのライブハウスで活動しているころ、ベースの千代さんが加入。だがその他のメンバーをなかなか固定できずにいた。
度重なるメンバー交代を経て、92年に1stアルバム『ゆらゆら帝国』を発売。その後、またもメンバーの入れ替えが行われ、その流れでスリーピースに転向。
ドラムの一郎さんが加入して最終的なメンバーが揃ったのは、97年のことだった。
ギター・ボーカル 坂本慎太郎
なにはなくともこの人。坂本慎太郎さん。もっさもさの天然パーマでSGをかき鳴らす、ゆら帝のフロントマン。
ギターやボーカルだけでなく、作詞・作曲・アートワークなどを手掛ける生粋のアーティスト。画集も発表している。
特徴的な見た目通り独特の世界観の持ち主で、その源泉になっているのは【水木しげる】や【ピーター・アイヴァース】。
坂本さんのギターにイラストを描いたのは何を隠そう水木しげる本人。めっちゃくちゃファンじゃん。かわいいトコある。
音楽的な話で言うとジミヘンをフェイバリットに挙げており、ファズの使い方やプレイスタイルにその影響を垣間見ることができる。
後期も攻めたファッションでライブに登場することがあったけれど、デビュー前後はパンタロンに上裸がデフォだったことを思えばだいぶ落ち着いた印象。
バンドのコアであり主軸である坂本さんが、帝国の象徴ってわけだ。
ベース 亀川千代
デビュー前から坂本さんを支え続けたベーシスト、亀川千代さん。
灰野敬二に影響を受けているようで、前髪を切りそろえた黒のロングヘアーが特徴的。いわゆるひとつの姫カットってやつだ。実はインタビューでは一番よく喋る。
ちなみに言っておくと男性。ライブ中は基本的に仁王立ちで曲にノったりすることはほとんどない。しかしベースはこれ以上ないくらいグルーブっている。不思議。
ゆら帝に加入が決まったとき、千代さんの風貌をみて坂本さんは「水木しげるの漫画のキャラみたいだ」とたいそう喜んだそうな。
ドラム 柴田一郎
他のふたりがあまりにも【ゆら帝】すぎるので一見普通の人と思われがちな、柴田一郎さん。
それ、大間違い。ビジュアルが普通な人が中身は一番ヤバいって相場は決まっているのだ。
ライブ中の狂気に満ちたドラミングもそうだけど、普通にプライベートで皇居周辺でドラムの練習をしていて右翼に拘束されたりしてる。意味わからん。狂気。
ゆら帝初期の頃は、和製チャーリワッツよろしくストイックなプレイスタイルだったが、バンドがサイケデリックな方向に舵を切ると、それに合わせて空間で聴かせるようなスタイルに進化していく。
解散後は「いちろう」名義でソロ活動も行なっている。
ゆらゆら帝国のアルバム・おすすめ曲【1st〜空洞です】
こっからはいよいよ、ゆら帝の音楽のお話。
【ゆらゆら帝国】という名前ほど、このバンドのサウンドを端的に表している名詞はない。
サイケデリックとロックンロールの融合。俯瞰と主観の反復。情念と冷静さの乱反射。ゆらゆらした帝国。
それが【ゆらゆら帝国】。善人でもないし、綺麗事でもない、これがロックで上も下もない。
日本のロック界に独自のスタイルで君臨した、帝国の輝きを見よ。
見よ。って言ってもインディーズ時代はアクが強すぎるのでゆら帝が初見の人はせめて3rdくらいから見よ。
酔っ払いながらブログを書いているといちいち偉そうになってしまう癖をそろそろなんとかしなくちゃならない。
1st「ゆらゆら帝国」より【私は点になりたい】
92年発表の1stアルバム『ゆらゆら帝国』。
「お・・くわぁ・・・か・・・くわぁ・・・ぁぁぁぁあああさぁぁぁぁあああん」が最高にロックなこの曲を。
坂本さんが多摩美大に在学中に結成されたバンドだが、始動して3年でこのトラック群を作るとは末恐ろしい。
このファーストアルバムは手売り限定でしかも千枚しか作られなかったため、はちゃめちゃな金額でネットオークションなどで転売されている。
ディスクユニオンとかレコファンですらも一枚30000〜60000円・・・買えるかッッ!!
このアルバムの発表後、ほどなくしてバンドはスリーピース編成となる。
2nd「ゆらゆら帝国II」より【人間やめときな】
94年発表の2ndアルバム『ゆらゆら帝国 II』からは【人間やめときな】。
メジャーデビュー後に発表された【人間やめときな】とは別の録音になっている。俺はこちらのテイクの重々しいドロドロした感じも好きだ。
「牛若丸なめとったらどついたるぞ!」っていう言葉が頭をよぎる。魂は受け継がれていくものなのかもしれない。
中央線沿いの雰囲気がプンプンする。中央線くさすぎる。アングラでヒッピー風なドメスティックなにおい。これが全部日本語詞なのがたまらなく良い。
この2ndも1stと同じような理由でプレミア化してしまっている。再販は・・・されないだろうなぁ。
3rd「Are you ra?/アーユーラ?」より【グレープフルーツちょうだい】
3rdアルバムの『Are You ra?』は96年発表の作品。
このころから、ゆら帝は中央線という枠を飛び出して、あらゆるイベント・ライブに顔を出すようになる。
CAPTAIN TRIPからミディへ移籍したのもこの頃で、レーベルが変わったことで活動の幅が広がった。
このころ日本で聴かれていた音楽といえば、ミスチルや小室ファミリー。
そんな中で、ゆら帝がどのようにして自分たちのスタンスを誇示していたかが見て取れる「グレープフルーツちょうだい」を選んでみた。坂本さんのジミヘン愛がわかる一曲。
この3rdから作風がかなりポップになるので、初見の人はこのアルバムから聴き始めるのがいいかと。
冒頭の一曲「あいつのテーマ」は1stにも収録されているが、こちらも別テイク。ドラムがよりラウドになった。
4th「3×3×3」より【発光体】
小山田圭吾が絶賛したこともあって、結果的にゆら帝の出世作になった4thアルバム「3×3×3」は98年発表。
メジャーでいうと1st扱い、一郎さんがドラムを叩き始めて最初の作品でもある。
この頃からライブの動員も急増。地方の小規模な小屋を軒並みソールドアウトにして、シーンの最前線に躍り出た。
ドライブ感が増して最高にロックしてるアルバムの中でもキラーチューン的な輝きを放つ【発光体】のライブ映像。
明らかにこのアルバムからサウンドの質が向上しているし、坂本さんが描いたジャケットもめちゃかっこよい。
5th「ミーのカー」より【ズックにロック】
99年発表の5th『ミーのカー』も最高。今日最高しか言ってない気がしてきてる。宗教かよ。文章が下手な証拠だ。
なにが最高ってスカスカ感が最高よね。スカスカでエッジぃ、最高にイカしてる。トートロジーな頭の悪い文章だ。
本当にいい音楽って偏差値が下がるのかも。ライブでのドライブ感をそのまま持ち込んだ録音に、バンドキッズたちは目を輝かせた。
同期モノ(なんらかのクリック音だったり曲のキーになるようなシンセ)が主流になっていくシーンの中で、ただただひたすらにスッカスカ。ロックしすぎ。
捨て曲のない素晴らしいアルバムだけど、その中でも息もできない「ズックにロック」を選んでみた。
6th「太陽の白い粉」より【すべるバー】
99年発表の『太陽の白い粉』から「すべるバー」を。
冒頭キラキラとしたラブソングでスタートするミニアルバム。多種多様な5曲が収録。
1優しいアンビ→2変態サーフ→3ロックど真ん中→4奇妙奇天烈→5ふわふわサイケって感じ。
なんつーか、こう【ゆらゆら帝国】ってバンド名で『太陽の白い粉』とか言われちゃうとね、なんか深読みしちゃうよね。
多面性・双極性・躁鬱・ネガティブ・ポジティブ、その振り幅がいつのまにかクセになってしまう不思議な作品。
おそらく前作の『ミーのカー』になんらかの理由で収録できなかった5曲なのだろう。
7th「ゆらゆら帝国III」より【ゆらゆら帝国で考え中】
2001年発表の筆者がゆら帝童貞を卒業した記念すべき作品。7th『ゆらゆら帝国III』からはやっぱりこの曲を。
ポップとサイケデリックのバランスが神がかっている名盤。というか、今まで紹介してきた作品の中でも群を抜いて聴きやすい。やっぱり俺は運が良かった。
以前からのゆら帝ファンはからは「アイツら変わっちまったな・・・」なんて声も聞こえてきそうだけど、バンドが持っている毒はそのままに、単純にメロディに特化したトラックが多いって感じ。
「ラメのパンタロン」とか「少年は夢の中」とか、ゆら帝のサイケ感をポップにうまく昇華させてると思える作品が並ぶ。
このアルバムを愛聴した副作用としては、嫌いなヤツからの電話を「頭の中で爆音で音楽が鳴ってるから聞こえねーよ」つって断るようになってしまうところだったり、あるいは「2歳の時にはもうわかってたね」つって知ったかぶるようになってしまうところか。
8th「ゆらゆら帝国のしびれ」より【夜行性の生き物三匹】
2003年、二枚同時リリース作品【しびれ・めまい】のしびれの方。『ゆらゆら帝国のしびれ』から「夜行性の生き物三匹」を。
【しびれ・めまい】は同時期に発売された作品だが、コンセプトで曲わけが成されていて、【しびれ】ではこれまでのゆら帝サウンドを踏襲したバンドサウンドを聴くことができる。
この動画のトラックが好みであればきっと気に入るはず。とはいえこの曲も阿波踊りビートのアッパーサイケな作りになっていて、この曲をポップと定義する俺の頭はすでにゆら帝脳になってしまっている感が否めない。
そうなのよね、これまでを周到したバンドサウンドなんて言っても、ゆら帝は作品を出すたびにロックの未来を開けてきたわけで、この【しびれ】にしてみても、シンセ・鍵盤・打ち込み・女性コーラスなど、さまざまな新要素を取り入れている。
編集の方法もさながらDJ。バンドサウンドをサンプリングから再構築する手法は、もう人力エレクトロと呼んでいい。
俺はこの曲以外だと「ハラペコのガキの歌」とかがシュールで大好き。
9th「ゆらゆら帝国のめまい」より【星になれた】
2003年、同時リリースの【しびれ・めまい】のめまいの方。『ゆらゆら帝国のめまい』からは「星になれた」を。
ソリッドなバンドサウンドが中心だった【しびれ】に比べて、【めまい】はゆら帝が持つポップさを前面に押し出したアルバム。
明るいゆらゆら帝国が聴きたいなぁ・・・って人はこのアルバムが一番いいかも。坂本さんではなく、ゲストの女性ボーカルがメインで歌っている曲も多いので、最初けっこうビックリした。
なんというか、バンドにこだわることをやめてる雰囲気が伝わってくる作品で、ポップさを引き出すため・メロディを生かすために思いつくことを全部やってみてるって感じ。
で、そんな作品のラストを飾っているのが、この「星になれた」。名曲。
【しびれ・めまい】は2枚同時に聴くのがおすすめです。
10th「Sweet Spot」より【2005年世界旅行】
ロックバンドの枠を超えてしまった2005年発表、記念すべき10枚目のフルアルバム『Sweet Spot』。
レコーディングでの音質・音像へのこだわりが恐ろしいほど伝わってくる「2005年世界旅行」を選んでみた。
【しびれ・めまい】で見られた実験的なアプローチが深まりに深まって、地層の奥深く、マントル層に突き刺さってしまった。
ゆら帝ファンは、同志たちにマントル層で出会う。そこでの共通言語は、サイケであったり、アシッドフォークであったり、ブラジル音楽であったり、レゲエ・ダブミュージックであったりする。
このアルバムも「急所」や「貫通前」 みたいなロックナンバーも聴けるけど、本領発揮は「ソフトに死んでいる」だろうか。
闇を抱いた虚無が、いよいよ真空になりそうな、そんな予感を抱かせる怪作。
11th「空洞です」より【空洞です】
ゆらゆら帝国の到達点。2007年発表の『空洞です』から「空洞です」。
00年代、最高に尖った音楽をやろうとして、空洞を作り上げたゆら帝は、もうどこへも行けなくなってしまった。
ドーナツの穴の味のような、想像している人間の感性に全てが委ねられるラストアルバム。
ポイントで挙げるとすれば「おはようまだやろう」だったり「あえて抵抗しない」になるのだろうが、どの曲を切り取ってみても空洞なのは変わらない。
俺たちにできるのは、その空洞を見つめて想像することだけだ。解釈が無限に広がる虚無がそこにはある。
虚無がある、とはおかしな表現だ。でもなんだかしっくりくる。飲み込みきれないほどのたっぷりとした虚無が、この作品には込められている。それが無限の解釈を生む。空洞なのだ。
なんだか禅問答みたいになってきた、これも文章が下手な証拠だ。
ゆらゆら帝国が音楽史に残したのは空洞です【まとめ】
今日はイチローの大好きなバンド【ゆらゆら帝国】について書いてみました。
思ったけど、もう解散して15年も経つんですね。解散した時のことはよく覚えてる。もちろん寂しさとか、残念な気持ちは誰しもにあったと思うけど、【空洞です】のインタビューで、みんななんとなく覚悟してた感じだった。
なんかね、悲壮感とかネガティブな感じは全然なくて、やりきった感が強かった。ファンはみんな、よくぞここまでやってくれた!って思いだった。拍手。
そもそも空洞にこれ以上なにかを詰め込んだところで、それはもう受け皿にしかならないわけで。
無理やり引き伸ばされたロックンロールに甘んじて、すがるようなバンドじゃないわけで。
それはもう、みんなわかってた。わかってたから、誰も異論を挟まなかった。お疲れさまって感じ。ありがとうって気持ち。
その後のライブツアーで、我々は、はっきりとバンドが過去最高に充実した状態、完成度にあると感じました。/坂本慎太郎
今回は1万字書いてみても、ゆらゆら帝国ってバンドのカッコ良さをちゃんと形容する言葉を見つけられなかった。
文筆に関わる人間として「聴いてくれればわかる」しか言いようがないのは悲しすぎるけど、とりあえず聴いてみてほしい。
サウンド・アートワークでロックシーンを超えて幅広く、様々な人に影響を与え続けているバンドなのに、最後にバンド生命をかけて表現したものが【空洞】なんてカッコ良すぎません?
カッコ良すぎるしか言えないなんて・・・悲しみを超えて虚しくなってきた。
虚しいと言えば、ゆら帝の残した虚無の向こう側が少しでも見たいなら、坂本慎太郎のソロを聴いてみるといい。
帝国は、空洞に飲み込まれて終わってしまったわけではない。
虚無に絶望して、崩壊したわけでもない。
帝国は空洞によって、完成したのだ。
虚無によって、哲学が生まれた。
ソリッドなロックンロールから始まった帝国の歴史は、様々な変容の果てに空洞になった。
日本語ロックに挑んできた彼らの戦いは終わった。専門家の意見は関係ない、市場の数字も意味がない。
議論は終わったのだ。ゆら帝の日本語ロックは【空洞です】で完成してしまった。
3人が開けた大きな穴は、誰が埋めてくれるだろうか。
空洞は、ギターの遠心力で埋まるだろうか。
虚無は、歌の求心力で埋まるだろうか。
ぽっかりと聞き手に深い闇が残る。
空洞と虚無。抱える闇のその先に、おぼろげに揺れる帝国が見えた気がした。