- スズキイチロー(36)
- PA(舞台音響)カンパニーに所属
- 音響ブログも執筆
- ネクラなnoteも執筆
- 甘酸っぱい交換日記も執筆
- ブロガー集団・アドセンス解放戦線代表
- こじらせ団体・メンヘラの止まり木主催
- Twitterの一部界隈においてカルト的な人気と噂
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向井秀徳のMCに見る・ナンバーガールが伝説になった理由【名言・考察】
繰り返される諸行無常
よみがえる性的衝動
日差しの角度がちょうどキて
風の匂い感じることができて
でもコミュニケイション不能
フィードバックは果てしなく続く
SCHOOL GIRL DISTORTIONAL ADDICT/EIGHT BEATER
ナンバガとの出会いは高校生の時。【サッポロOMOIDE IN MY HEAD状態】っていう解散ライブの録音を聴いたのが最初でして。
当時、一緒にバンドやってたヤツがまとめてCDを貸してくれて、その中の一枚だったと記憶している。
山のように積まれたそのCDの中にはゆら帝の【III】だとか、ブランキーの【LAST DANCE】なんかも含まれていた。
いま思えば、自分の音楽遍歴に立体感のようなものが出てきた時期であったように思う。
この時のことを書いてみたいってずっと思っていたんだけど、大体いつも別のことが浮かんで、話が同時進行してしまって、そっちはそっちで勝手に完成していく。
生まれたときから今まで、ずっと気が散っているような気がする。
その当時おれは多感な高校生であって、教室でヘッドフォンから音漏れさせながらナンバガとニルバーナを聴いている自分が、世界一イケてるボーイだと考えていた。
ヤバい。思い返してみるとすごく恥ずかしい。それでも、このナンバガのライブアルバムは今でも良く聴いたりしている。ニルバーナの方はリーディングフェスのやつ。
職業PAになって、二児の父親になって、妻から「うるさい曲はリビングでかけるな」と言われるようになっても、一人になるとたまに聴いてしまう。
それは、別に過去を懐かしんで聴いているってわけでもなくて。本当によくできたライブアルバムだなぁ、と今でも思う。
人間の感情のヒリヒリした熱量が、空気が、ありのままに閉じ込められている。単純に名盤なのだ。
ただしヘビーに聴いてしまうと副作用としてしばらくのあいだ、東京のことを冷凍都市と脳内で変換してしまう問題が起こる。
よみがえる性的衝動などにも注意が必要かもしれない。
一聴しただけで、その鋭さと力強さに圧倒されてしまう。でかい音量で聴けば聴くほど、景色の解像度が上がる音楽。
異質であるというだけでなく、ロックというジャンルに分類されるものの中でも、かなり感情的な録音だ。
ディストーションの爆音、怒号と歓声、不明瞭なボイス、不協和音と取られかねないノイズアンサンブル。
曲が始まると、その全てに意味付けが成され、NUMBER GIRLという全体像が見えてくる。
ノイズの中から削り出され、研ぎ澄まされるサウンドは、洗練された妖刀。一太刀で俺はやられてしまった。NUM。
そんなロックバンド、ナンバガが解散してしまったのが2002年。この時点ではイチローはナンバガのことを全く知らなかったわけで、解散に関しては特に言えることがない。
まぁべつに中国に行ったことのない角野卓造がラーメンを作っていたとしても橋田壽賀子はべつに気にしないだろうし、そのくらいの自由度でこれからもブログを書いていきたい。
というかそもそもイチログは「おかくら」でも「幸楽」でもない。だれがえなりかずきやねん。
話を戻す。ナンバガの再結成が2019年。その17年間の間に、俺は4枚のオリジナルアルバムと2枚のライブアルバムを聴き込んだ。
殺伐とした狂気が渦巻く音源の虜になった。ヘッドフォンをつけている間だけ、無敵になることができた。人生の位相変換、あるいは現実逃避。
そして驚くべきことに、その6枚のCDはいずれも市場に大きな価値を見出されることがなかった。まぁ、なんつーか、単純に大して売れなかった。
(4th-NUM-HEAVYMETALLICのオリコン15位が最高)
このことからイチロー少年は「テレビでもてはやされているものが必ずしも優れているものではない」という仮説を唱えるようになり、程なくしてそれは甲本ヒロトの言葉によって人生に固定されることになる。
売れているものが良いものなら、世界一のラーメンはカップラーメンだよ。/甲本ヒロト
たぶん、自分の人生はクソだと思っているヤツらが、ナンバガを聴いていたと思うんだ。
キレイゴトじゃ救われないことばっかりだ。だって現実は全くもってクソじゃないか。
会いたくて震えながら、タイトなジーンズに戦うボディねじ込んで、切りすぎた前髪を憂いたって、どこにも行けなかった人間たちの音楽。ロックンロール。
ある種の自傷かもしれない。痛みには血が流れなくてはならない。苦しみには叫びが不可欠だ。
痛みも苦しみも、具現化できてようやく負荷として実感できる。実感するところから全てを始めることができる。
痛みを突きつけてくる音楽。ナンバーガール。
ギリギリの現実におかれましては、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
今までもこれからも、狂っている・狂っていないのボーダーラインは、不明瞭であり続けるでしょう。
こちら側・向こう側の、どちらにも居場所がなかった人たちへ。
ここには教科書はない、神様もいない、だから人それぞれの解釈があっていい。
俺はおれなりの解釈でこのバンドについて書いてみようと思う。
ナンバーガール(英語: NUMBER GIRL)は、日本のオルタナティヴ・ロックバンド。1995年8月に福岡県で結成され、2002年11月30日に解散。2019年2月15日に再結成を発表。
Wikipediaより
ナンバーガールのメンバーについて
2018年初夏のある日、俺は酔っぱらっていた。そして、思った。またヤツらとナンバーガールをライジングでヤりてえ、と。あと、稼ぎてえ、とも考えた。俺は酔っぱらっていた。俺は電話をした。久方ぶりに、ヤツらに。そして、ヤることになった。できれば何発かヤりたい。/向井秀徳
2019年、向井秀徳の声掛けにより再集結したナンバガのオリジナルメンバーたち。
殺伐・豪快・童顔ドラマーのアヒト・イナザワ。
解散のキッカケになったディストーションベーシストの中尾憲太郎。
女性ロックギタリストの象徴にまでなった田渕ひさ子。
そして「This is 向井秀徳」な、向井秀徳。
この4人の関係性については、再結成を持ちかけた時の向井秀徳の話に端的に表されている。
予想はしてないでしょう。「また何かいきなり言い出したなこの人」みたいな、たぶんそんな感じ。/向井秀徳
豆知識というか、なんつーか、ナンバガくらい長い歴史を持つバンドだと、いろいろなウンチクみたいな話があってですね。
向井秀徳だけ福岡じゃなく佐賀出身だとか、コードの押さえ方が不自然なのは幼少期の指のケガのせいだとか、
田渕ひさ子がブッチャーズの吉村さんの妻だとか、ステージドリンクが絶対パックのお~いお茶だとか、
なんだかいろんな話があって、それぞれが間接的にNUMBER GIRLのサウンドに影響しているのかも。あるいはしていないのかも。
とはいえ、今回書いてみたいのはそのような角度からの話でもないので、あまりメンバー個人について書くことがない。
気になった人は調べてみてもいいと思うけど、そんなことするよりライブを観てしまった方が手っ取り早くバンドへの理解が深まるような気もしている。
ここまでの文章を読んでくれた人が、この後もしNUMBER GIRLってバンドを聴いてくれたとしたら、その時の感想はきっとこうだ。
「うるさっ!!!」
彼らの演奏は、とても、とても、騒々しい。iTunesにCDを入れた時のジャンルが【ノイズ】だった時には笑った。せめてオルタナティブにしてあげてほしい。
ジャンルは広義的にはロックに分類されるものだが、曲の構成はわかりづらいし、歌詞も聞き取りづらい。
サウンドのバランスも一聴すると崩れているかと思うくらいに攻めまくっていて、一口にロックという言葉で片付けてしまうにはちょっと修羅場が過ぎる。
情熱というにはあまりに鋭利な感情だと思える。バンドの4人の命が削れていく姿に観客が熱狂している様が【繰り返される諸行無常】だ。
ナンバーガールの音楽で救われた奴らはみんな、脳内で流れ続けるラストライブを見続けていた。
それで明日にしがみつけるなら、つまらない真理よりずっといい。
This is 向井秀徳・MCとナンバーガールのおすすめ曲
みなさーまがーた! おひさーかたぶーり! ぶーりぶーり!/向井秀徳
今回の記事を書こうと思ったキッカケってのは、野音での復活ライブの向井秀徳のこのセリフがあまりにも印象的だったからだ。
向井節をいろいろ集めてみたら、違った角度からNUMBER GIRLってバンドを紹介できるんじゃないだろうか?
そんなことを考えたのだったが、文章にしてみたらびっくりするくらいしょーもなかった。ほぼクレヨンしんちゃん。
そんなこと言うてみても、すでに3000文字くらい書いてしまったので勢いで書ききってみようと思っとる。
その中で「This is 向井秀徳」な、狂気を帯びたユーモアを感じ取ってもらえたら嬉しいです。
この人、なかなかにカッコいい話し方をするのであるが、内容をよ~く聞いてみても、なんだかあんまり意味がわからなかったりする。
そんな向井さんのことが、イチローはとても好きだ。
“透明少女”の向井秀徳MC
気づいたら、夏だった、風景。
あるいは、私がその時見たあの姿は……いや、確実にあの姿は、透明少女だった!
「そんなあの娘は透明少女」とMCで語られることが多い、言わずと知れたナンバガのデビューシングル。
例えようもない人間の欲望を、切れ味鋭い爆音のオルタナティブロックのサウンドに乗せて歌ったこの曲は、メインストリームへの強烈なカウンターになった。
90年代後半~00年代前半、当時の流行だったハイスタをはじめとするメロコアや、ブランキー・ミッシェルを筆頭にしたガレージロックとも全く違うし、
スーパーカー・くるり・中村一義のようなロキノン系よろしくなキャッチーさとも一線を画していたナンバーガールは、ロックの異端児として扱われていた。
このような尖りまくったシングルでデビューした彼らが、ブッチャーズやイースタンら界隈のアンダーグラウンドの同志と合流していくのは、当時を知らない自分にとっても想像に難しくない。
“鉄風 鋭くなって”の向井秀徳MC
年末、夕暮れ。銀座・並木通り。
人混みかき分け、勝鬨橋のボルトの辺りに、
今日も……今日も、鉄のように鋭い風が、吹いています。
地元・福岡とは違う、冷凍都市・東京の冷たく鋭い風を歌ったキラーチューン。
無慈悲に吹く冷たい風や、大都市の無常観は、向井秀徳の歌詞と相性がいいらしいことがわかる。最高にエッジィィィ感じ。
言ってることも、サウンドも、ほとんど理解できないのに、ちゃんと景色が浮かんで、心を掴まれてしまう。
この曲を聴いて、ベースってルート音を弾いてるだけでもドライブしているとこんなにカッコいいんだなぁって感じたことを覚えている。
最初にチャドスミスのエイトビートを聴いた時みたいなことを思った。ベースのみのイントロでバンドを象徴してしまえるのがすごい。
最近は感覚も記憶も何もかもが曖昧になってきている気がするから、鮮明に思い出せる何かがあるのがとても嬉しい。
“OMOIDE IN MY HEAD”の向井秀徳MC
福岡市、博多区からやって参りましたナンバーガールです。
ドラムス、アヒト・イナザワ。
1stアルバムの1曲目であり、解散ライブのラストで演奏された曲でもある”OMOIDE IN MY HEAD”。
バンドの初期衝動をグワっと詰め込んだような、エモーショナルな楽曲。俺は一番この曲が好きだ。言語化できないくらい、人生のいろいろをこの曲に詰め込んできてしまった。
曲の始まり、向井秀徳のMC終わりで、ドラムの激しいフェル、ギターが爆発して、照明は生のフットライトのみ。
浮かび上がる向井秀徳の不敵な表情。メンバーの髪が振り乱れる。そして落ちるメガネ。
これが世間で言うところの、いわゆる”OMOIDE IN MY HEAD状態”ってやつだ。きっとそーだ、そうに違いない。
言葉にできない不思議な力を持っている楽曲だ。これからも良いことだけはできるだけ忘れないようにしたい。
そうすることで見えないところで己に力が宿る。それは行動に表れる。おれ、今、”OMOIDE IN MY HEAD状態”。
“NUM-AMI-DABUTZ”の向井秀徳MC
さて、5週勝ち抜きなるか?
ショーパブ上がりの実力派、“NUM-AMI-DABUTZ”の登場だ!
動画の2曲目、ぐしゃっとした精神状態が上手く表現されている“NUM-AMI-DABUTZ”。
混沌。酩酊。ディストーションの歪みが和のリズムに乗ってカオスで候。
かと思えば、先端恐怖症の人間を射抜くかのような鋭利なリフを刻むギター。
まさにナンバーガール・シンドローム的な名曲。これが一番かっこいいかもしれないとすら思う。
“SASU-YOU”の向井秀徳MC
大五郎! これより冥府魔道に入るぞ!
キッレキレ。痔で言ったら間違いなくキレてる方の痔。激走ナンバー、メガネの咆哮、”SASU-YOU”。
テレキャスターに殺されるわ。ジャズマスターに刺されるわ。リフに殴られるわ。冷たいわ、いや熱いわ!
書いててもよくわからんくなってきたけど、動画さえ観てもらえたら、もうそれで全部わかるから。
もうロックがどうとかどうでも良いかも。ばかとかダサいとか思われても良いし、思われなくても良いだろうな。
わかる人にわかればいい。俺は今、地下深くのマントル層にいる同志たちに向け発信している。
“IGGY POP FAN CLUB”の向井秀徳MC
あの季節になると俺は絶対思い出す
あの部屋であの子があのレコードを聴いて
これ変な歌やなぁって言ったあのシーン
“思い出してる”のリフレインが印象的な”IGGY POP FAN CLUB”も、ナンバガ初期の名曲。
ギターロックってなに?って宇宙人に聞かれたらこの曲を教えとけば間違いない気がする。
ロックレジェンドを笑い飛ばした昔の彼女を、エモーショナルなディストーションのリフに乗せて回想する。
もし子どもにギターを教えてって言われた日には、この曲のイントロを教えてやろうかな。
そんなことを思ったりもしている。
向井秀徳のMCに見る・ナンバーガールが伝説になった理由【まとめ】
向井節MCから見る~・・・なんて書き始めてみたはいいけど、やっぱり自分の好きなものに関して書くのはとても難しい。
指定されたお題について書くWEBライターやってた頃の方が、このような苦悩や葛藤みたいなものは少なかったように思う。
思うけど、誰かに指摘されて自分の文章を消す時、言葉以上の何かが消えていく気がして、なんだかとても憂鬱だった。
そんな言葉以上の何かってものは、多感な時期にNUMBER GIRLをはじめとする音楽の大先輩たちからもらったものだと、なんとなくそう感じている。
NUMBER GIRLを認知している人たちのこのバンドの印象ってのは【青臭い初期衝動を歌う集団】って側面が強い。
その理由が今回この記事を書いていて、なんとなくわかった気がする。
おそらく「OMOIDE IN MY HEAD」や「IGGY POP FANCLUB」の印象が強すぎるのだろう。「透明少女」を含めてもいい。
どの曲も楽器を始めたての高校生でもコピーできるような簡単でキャッチーな構成だし、いずれも解散ライブで演奏された楽曲だ。
ファンに印象深いシーンを焼き付けた名曲が、バンドのイメージになってしまったとしてもなんら不思議ではない。
しかしここで疑問として浮かぶのが【青臭い初期衝動を歌うだけの集団】が20年近くも再結成を熱望されるような、伝説的なバンドとして扱われるだろうか、ってことだ。
その点を考えてみると、NUMBER GIRLの最大のアイデンティティってものは、青臭い初期衝動とはまた別の世界観を歌った活動後期の部分だと思える。
3rdから4thにかけての、仄暗い死の気配だとか、気だるく退廃的な香りのする性の景色だとか。
人間は常に揺らいでいて、そんな不安定な部分を表現したナンバガはたまらなく魅力的だ。
NUMBER GIRLは4人いて、4人ともヒーローだから、4通りの側面があって、どの角度から切り取っても、唯一無二のバンドなのだ。これは考えてみれば、本当にすごいことだ。
素晴らしいライブを観ると、体験した人間はしばらくその光景をうまく言語化することができない。
いいライブってのは一瞬で過ぎ去ってしまう、おとぎ話みたいな時間だから。
俺は今でもそんな夢物語みたいな時間をどうにか捕まえたくて、繰り返し何度も同じCDを聴いているのかもしれない。
今はもう大人だから、ヘッドフォンから音を漏らしてドヤることもない。
あるいはこれも、諸行無常だよと、透明な少女が笑ったような気がした。