くるしまぎれ日記・働かないシリーズ6.5

働かないで生きる

がんばれ俺の筆・働かないシリーズ6.5

過去にないくらい筆が進まないので、今日は日記みたいな感じでちょっと前に書いていた”働かないシリーズ”の続編みたいなものを書いてみようと思う。

育休から復帰してからというもの、仕事もプライベートも突発イベント盛りだくさんな内容でまぁとにかくバタバタだった。

文章はスマホにメモっていたものがどんどん汚泥のように溜まっていくだけで、生活も死なない程度の家事をこなすことで精一杯って感じだった。よく生きてた。偉いぞ自分。

そんな感じで結構ネタはあるのに筆が進まない。全然進まない。おい、息してるんか俺の筆。

これに関しては調子が悪いというよりそんなこんなな日常のせいで、頭の整理がついてないって感じ。

普段から明確なポジションを取らない考え方でとっ散らかっている脳内は、自分の人生そのもののようだ。

それ自体は特に問題にならないけれど、この状態が続くと強制的に身体がインプットモードでズブズブに沈んでいくので、今夜自分が求めている感じとはちょっと違う。なんか書きたい作りたい。

なんだかんだ言って結局は、自宅とか近所の気を遣わないコーヒー屋とかでダラダラしてみないとアウトプットモードには戻れないってことが、長年の研究によって明らかになってきている。

なんだか人ってむずかしいですね。ぽえぽえ。

2020-2021・深夜ニュースを見ていて思うこと

ここ最近、深夜にテレビをつけていると”コロナ禍”という言葉を目にしない日がない。

前にも書いたような気がするけれど、この禍(わざわい)は根本的に解決はしないと考えていた方が良い。若い世代の人間は特に。

外出を控えたって、特効薬ができたって、きっと同じようなことが起こるからだ。頻度だって加速するかもしれない。ワクチンが普及した現在でさえ、世界中で感染者はリバウンド傾向にある。

今回のウイルスの流行がおさまったとしても、感染症と人間の戦いは終わる気配がない。

戦いというよりも地球上に生きる生物同士のバランスの問題なのだから、人間が存在する限り終わらない。戦争とは違う。いや、戦争も同じようなものなのかも。

っていうか蛇足かもだけど、オリンピックまであと一週間ってときに、観客がどうとかビールがなんだとかやっているのをニュースで見ていて、現場の人間の事を考えると背筋が凍る思いだ。もはや狂気。ふぅー!

このような世界において労働者に与えられるストレスはより過剰になっていく傾向にあると思う。

今回のようなバブルは末端の労働者に恩恵などないし、世界中が金融緩和をしていて紙幣を刷りまくるという力技で現状の資本主義をなんとか支えている状況はかなり異常だ。

こんな状態が続くと、将来起こり得るインフレに対応できるか不安になってくる。

仮に過剰なインフレが起こってしまった場合、貯金の価値がだだ下がりするので、老後資金をギリギリで計算して貯めていた人は不足する可能性が高くなる。保険も満期時にハイパーインフレなのでは効果が薄い。

非正規労働とか長寿化に対してインフレってのは相性が悪い気がする。こんな状況下では何か一つに頼り切った資産形成はなんかちょっとヤバそう。株式にしても不動産にしても。

タンス預金でさえも、勝率の悪い博打を打たされているのと変わらないのかもしれない。僕は悲観的にものを見過ぎかもしれない。

脳のメモリには限りがあるというのに、なんだかニュースを見ていると強制的にネガティブに引き込まれてしまうぅ。

最近youtubeにも「コイツ疲れてるわ」認定されていて、お坊さんが悩み相談している動画をゴリゴリにオススメしてくる。こんな文章書くよりも寝た方がいいのかもしれん。

2020-2021・働き方に関して思うこと

働き方に関してだって同じことが言えると思う。一生懸命に1つの働き方を突き詰める事も否定はしないし、天職を持っている人の事を羨ましくも思う。

一般的な目線で言うと、何かひとつの仕事で生活できない人は”半端者”みたいなレッテルをはられて、お金を借りたりローンを組んだりが難しくなったりする。そういう意味では”ひとつの仕事で身を立てる”ってのは長い間、社会生活においてのスタンダードな生活様式だった。

でも世界の現状を見てみると、実際は丈夫な生活を築いている人たちってのはみんな収入源を分散させていることに気付かされる。

音楽をやりながら俳優をしたり。スポーツが本業の人が広告塔になったり。お笑い芸人が物を書いたり。ハイパーメディアクリエイターとか、ビューティーコンサルティングとかみんなそうだ。ちがいない。

この手の職業のメディアミックスみたいなもののメリットとしては、丈夫な生活を作るというものの他にも「飽きにくい」っていう恩恵がある。

一生飽きずに取り組める仕事を仮に”天職”と呼ぶのなら、そんなものはハードルが高すぎてちょっと困る。自分の感覚で言わせてもらえれば、現役と言われる世代でいる間に見つけられる気がしない。

見つかっていると自負している人間はよほど強運の持ち主なんじゃなかろうか。人生のログインボーナスが”天職”って無敵すぎる。

ガールズちゃんねるより

この問題を、飽きっぽいイチロー感覚で考えてみると”週に1日・2日くらいなら楽しい仕事”って感じにハードルを下げることで、なんだか色々と選択肢がありそうな気がしてくる。

週の7日間の間にとんかつを揚げ・ターンテーブルを回し・余った時間はコンビニでバイトすればいい。厨房とフロアは情熱で、弁当とブリトーはレンジで温める。一億総とんかつDJ計画だ。あれ、なんか思ってたんと違う人生になってきた。

まぁとにかく、こんな感じで各々の”週1天職”をかき集めることができたなら、一生遊び感覚で暮らすことだってそれほど夢物語でもないのかもしれない。

このブログでもなんども言っているように、世界はうんざりしない程度に自分でできることや好きなことを増やしていくことで、わりと豊かな暮らしができるような仕組みになっているんだと考える。

その上で効率やら他者的な感情やらに自分の人生を支配されないようにしたいと自戒を込める。お金をたくさん集めることだけが豊かさではない。色々な場面で様々な角度からの豊かさが人生には存在する。

なんにしても誰だって最初は初心者だし、全部あくまで遊びや趣味なんだけど、それを頑張って突き詰めていくことで生活が楽になるシステムが組めるのであれば、その人はもう錬金術師に近い。自分もそんなものを目指している。

その結果、ちょっとづつだけれどしなやかで強度のある人間になっていて、折れることなく揺れる白い花のような存在になりたいと思うけどちくしょうこれも既にバンプオブチキンが言ってる。

とにかく無理なく、かつ豊かな良い暮らしを、出来るだけ長く続けていきたい。なんだかとってもジジイな気分だけど、そんなわけでこのシリーズでは”精神的な支柱と経済的な支柱を増やしていきたい”ってことを繰り返し述べてきた。

自分はあくまでもやりたくないことや趣旨に賛同できないことから距離を置いて、自分の満足できる暮らしを送っていきたいと考えている。全部が全部ただの日常で、なんだよいまさらって感じだけど。

生活を送る上でお金に余剰ができれば、それはそのまま余暇になる。時間はどれだけあっても邪魔にならないし、たくさんの余暇は生活の豊かさにつながる。自炊だって凝った工程のものができるし、コーヒーだって自分の満足いくものを淹れることができる。

特別ケチった生活を送らなくたって、自分自身の豊かさを追い求めることで生活費はどんどん低くなっていく。贅沢や豊かさという概念はそもそもオリジナルなものであるべきだと考える。

そうすれば、取り返すことのできない過去のコストを意識して、今現在の自分自身にとって不利な行動をとることもなくなっていくだろう。

過去は過去として、いまの自分にとって何がベストなのか常に意識して生活していきたい。毎日自分を肯定して生きていれば、子どもにだって同じようにしてやれるはずだ。

たとえば住む場所や働いている環境についてもちょっと考えてみると、色々な気付きがあると思う。

あ、話題が変わる時には見出しを入れないと知らない人に怒られる。

2020-2021・自分の環境について考える

たとえば住む場所や働いている環境についてもちょっと考えてみると、色々な気付きがあると思う。

人間って生き物は、自分で思っているよりもずっと強く環境から影響を受ける生物だと思う。

自分の性格や性質、弱点とか体質なんかでさえも環境からもたらされた”状態”であることが少なくない。

よく会う人の言動に影響されて性格が歪んでしまっている人もいるし、地方なんかは特に地域の性質に自分の性格が引っ張られている人が多いように感じる。郷に入ってはというやつなのか。

日照時間、気温、土地ごとの水質、空気なんかで人間の体質は簡単に変化するし、現状の体調やら自分の性格になにか不満を感じているのであれば意外と地球上で身体をズラすだけで大幅な改善が見込めるかもしれない。

人生の大きな壁と思わしきものに出会ってしまった時には、根性とか気合いとかよりも引越しとか転職のほうが役に立つ。

衣食住に関しても、資本主義・効率主義が蔓延している。自分の感覚を信じて住む場所やら食べるものやら着る服を選んでいる人間はそれだけでイケてるしハードコアでハードボイルドであるといえる。

移動効率と経済効率によって研ぎ澄まされた現代住宅は、縦積みしまくって狭い土地にたくさんの人間を住まわせる方式が主流になっている。生まれてくる不満とかデメリットを電気やら石油やらテクノロジーで補填する。

なんだか最近は昔より街が疲れているように見えるのは、社会が足し算に足し算を重ねて、なんとかバランスを保っているからかもしれない。

その話で言えばこんな社会情勢だけど、コロナ騒動直前にぶっ足された消費税はそのまま据え置かれている。さすがは後期資本主義。

なんなん?って心のなかの藤井風が叫ぶ。

前の記事でも触れたような気がするけど、国の財源の確保のためになぜ”消費増税”が選択肢として選ばれたのかは知っておきたい。社会保険料ではダメだろうか?所得税や法人税ではどうなんだろうか?

消費税を上げるよりは、金欠の人の負担が減りそうな気がする。でもまぁ所得税とか法人税だと2㌫UPじゃ足りないか。政治家の偉い人曰く「現役世代への負担軽減」ということだそうだ。

うーん。消費税だったら日本全国の人が課税対象になって20~60代の僕らの世代の負担は確かに軽減されるけれど、ってことはつまりは現在なんらかの社会保障の対象になっている人にも平等に課税されるわけなので、実質的に社会保障費の削減になっちゃってるんじゃないの?考えてもちょっとよくわからない。

別に消費増税に対して何らかのポジションをとっているわけではないし、社会がちょっとでも良くなるならばそのくらいの負担に関してはやぶさかではないのだけれど、なんだか増税の理由が「金がない」なのはすごく嫌だなぁ。と思った。

友達に「金がない!金かして!」と言われるのはまぁわかるけれど、国のトップにされる金ないアピールはちょっと怖い。みんな不安になるだろうし、そういう雰囲気は景気に直結する。この国が暗い方向に導かれないことを願う。

この日記だって十分暗いかもしれない。これからちょっと気をつけようと思った。

働かないシリーズ6.5・まとめ

なんだか話題が逸れまくったうえに藪からスティックでまとまりがない文章になってしまった。まぁいつものことだけど。

今回の記事を一行で書くと、どんなものに関しても自分基準の豊かさを優先した考え方をしていきたいなぁ、って話なのだ。今決めたんだけど。

毎回、普通のことをできるだけ丁寧に書いているつもり。なにかのリハビリ?写経みたいだ。写経ブログ。毎回付き合ってくれてありがとうございます。

自分は最近流行りの筋トレのための筋肉みたいなものには興味がなくて、これに関してはメンタルにも同じことが言える。自分を大きく見せようとする人には全く心惹かれない。

そんな筋肉は邪魔だなと思うし、そんな精神は気持ち悪いとすら思う。

強迫観念的なポジティブさには疲れるし、マウントを取らないと気が済まない人の話にはウンザリする。

まぁみんな世界とか世の中を良い方に導こうとしているんだろうし、どんな考えかたの人がいても個人の自由だけれど、あまりにも人をないがしろにした言葉や行動は見ていてつらいものがある。自分に実害がなくたってかなりつらい。

話の途中で環境が人を作っている話をしたけれど、自分を見下してきたりするような人間のいる場所からは距離を取った方が良いと経験則的に思う。

嫌な奴やつと一緒にいると自分までいつの間にか嫌なやつになっている。実はこれがいちばん怖い。

どんな人間と一緒にいるかで、自分の性格とか性質とか健康状態にまで影響を与えると考える。それによって形成された自分がまた他人に影響を与えてしまう。どんな人間と友達になるかはこの意味で本当に大切だと思う。

それとは別に仕事とかの話もしてきたけれど、ここ10年くらいずっと自分が目指している就業形態は”とんかつDJ”なんだなってこの記事を書いていて思った。こういうアウトプット由来の気付きって好きだ。そうか、わたしはとんかつDJになりたかったんだ。

感覚は人それぞれで、人によって合う合わないはあると思うけれど、新しいことを始めたり、知らないお店に行ってみたり、自分が住みたい地域や街を探すことで自己は結構丈夫になっていく。居場所と投資先は分散するに限る。自己も資産もどんどん強靭になっていく。

そんなこんなとは別に、銀行口座にどれだけお金が入っているかよりも、お気に入りのお店が未来もずっと存在してくれていることとか、自分の大切な人たちが健康でいてくれることの方がはるかに重要なことだと感じる。

まぁ本当に自分が言いたいことって、思ったより世間は聞いてくれないんだけどね。

今日はもう寝ます。おやすみなさい。

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