レッチリの名盤5選・バンドの歴史と伝説エピソード【おすすめ曲】

邦ロックが好きな人

Red Hot Chili Peppers】の歴史が知りたいな!
バンドメンバーの来歴も詳しく教えて!
おすすめ曲や名盤やエピソードを知りたい!

こういった人向けの記事です。10分ほどで読める文章量。

この記事を書いてる人・イチロー

※紹介制度があるサービスは紹介リンクを貼っています。

目次

レッチリの名盤5選・バンドの歴史と伝説エピソード【おすすめ曲】

こんばんわ。PA(舞台音響)ブロガーのイチローです。

バンドものを中心に音楽が大好きなイチローですが、今回書こうと思っているレッチリからの影響はものすごく大きいです。

PAとしても、バンドマンとしても。

だからこのバンドについて書くのがちょっと怖いんですよね。なんだか。

きっとアラフォー世代の音楽好きにはこの感覚わかってもらえるはず。

というかもはや色々”わかり過ぎ”てて今更レッチリの魅力なんて言語化しなくてよくね?って思ってずっと避けて通ってきた感ある。自分が書くことの意味とか諸々含めて。

それでもこのブログは「自分でじぶんがどういう人間なのか」を理解するってのが個人的なテーマだったりもするので、ちょっと今日は背筋を伸ばしてこの人たちについて書いてみようと思っている。

この人たちが現役で活躍してる世代に生まれて本当に幸運だった。

時代のラッキーやら自然の恵みやら何に感謝したらいいかわからないけれど、そんな色々にラブリーな思いを込めて。

今日は”Red Hot Chili Peppers”の話。

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NMEより

レッド・ホット・チリ・ペッパーズ(英語: Red Hot Chili Peppers)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身のロックバンド。全世界トータルセールスは8000万枚以上を記録している。

3つのグラミー賞を受賞している。(12回ノミネート)[3]主な略称は「RHCP」や「The Chili Peppers」、日本でのみ「レッチリ」など。2012年にロックの殿堂入り。

2019年現在、オリジナル・アルバムを11枚、ベスト・アルバムを2枚発表している。ウォール・ストリート・ジャーナルの「史上最も人気のある100のロックバンド」にて13位。

Wikipediaより
アーティスト:RED HOT CHILI PEPPERS
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レッチリのバンドメンバー

それでは例によってバンドのメンバーから紹介していきたいと思う。

とは言ってもレッチリほど歴史の長いバンド(休止期間も合わせると結成から38年!)になると、どの時期のメンバーを紹介していいかわからなくなりそうだ。

しかもどの時期のどのメンバーも在籍時にはバンドにアイデンティティとケミストリーを与えてるってのはちょっと異常かもしれない。

そのくらい”Red Hot Chili Peppers”ってバンドを語る上で欠かせないのが「人間模様」でバンド独自の「ドラマ」だったりするのだ。

その中でも限られたスペースの中で僕の1番大好きな2021年現在のメンバーを紹介してみる。

レッチリのボーカル「アンソニー・キーディス」

BBCより

ライブで裸になるのは、自由を表現するための究極の行為なんだ

アンソニー・キーディス(Anthony Kiedis, 1962年11月1日 – )は、アメリカ合衆国のミュージシャン。レッド・ホット・チリ・ペッパーズのヴォーカリスト。身長175cm。

Wikipediaより

レッチリの結成当時からのオリジナルメンバーで不動のボーカリスト。「アンソニー・キーディス」。

日常的にドラックのある家庭で育ち、自身も父による手ほどきのもと12歳からドラックと共に生活をおくる。

後述するベーシストのフリーとは学生時代からのマブダチで、当時は周りになじめず暗い性格だったフリーを友人として支えた。

当時から喧嘩っ早くて乱暴者として有名だったが、フリーのように周囲の環境になじめない人間や身体的な障害によって虐げられている人間を見過ごすことが出来ない性格だった。

また40年近くに及ぶバンドの歴史において幾度となく訪れた存続の危機には、常にキーマンとしての存在感を発揮し“Red Hot Chili Peppers”の核として求心力を発揮し続けている。

レッチリがいわゆる「ミクスチャー・ロック」という表現でジャンル分けされているのは、フリーのベースラインのファンキーさに加えて、アンソニーの「ラップ」による歌い回しの印象が大きい。

ステージをはだかで縦横無尽に動き回り、舌足らずな独特のラップで”アメリカのリアル”を歌うアンソニーは、ロックバンドのアイコンとしてアラフォーの記憶に深く刻み込まれている。

ちなみに彼のフィクションのような壮絶な人生や、レッチリの歌詞の本当の意味、バンドメンバーとのドラマのような関係性は自伝”スカー・ティッシュ”に赤裸々に綴られている。

著:アンソニー キーディス, 著:ラリー スローマン, 翻訳:新井 崇嗣
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レッチリのベース「フリー」

sound boxより

俺は自分の人生を愛してる。自分の失敗も、成功も、すべてを愛してるんだ

フリー(Flea)ことマイケル・ピーター・バルザリー(Michael Peter Balzary、1962年10月16日 – )は、オーストラリアのメルボルン郊外バーウッド出身のベーシスト、俳優。レッド・ホット・チリ・ペッパーズのオリジナル・メンバーの1人。

Wikipediaより

レッチリのベーシストである「マイケル・ピーター・バルザリー」の愛称は”ノミ”の”flea”で”フリー”だ。

ぴょんぴょん跳ねまわるステージングを見てアンソニーが命名した愛称は、その後ロックベーシストの代名詞として世界に知れ渡る。

ジャズミュージシャンの父を持ち、真面目にトランペットに取り組んだジャズ少年は、学生時代に悪友のアンソニーに出会ったことをキッカケにしてロックに目覚めたフリー。

(ここで教わったのはロックのみならずドラッグやその他の諸々であることは言うまでもない)

レッチリ結成前から”ジョン・ライドン”(ピストルズ)に誘われて”PIL”(パブリック・イメージ・リミテッド)の加入を打診されるなど、ミュージシャンとしての評価は既に高かった。

その後、自身のインスピレーションを信じて”Red Hot Chili Peppers”を結成。(最初は一度きりの企画バンドの予定だったのだが)

オリジナルメンバーの一人として名を連ね、アンソニーとフリーにとってはまさに”人生そのもの”のようなバンドが始まったのだ。

その狂気じみたステージングとファンキーなプレイスタイルから曲者と思われがちだが、人物としては非常に紳士的な人間性で知られている。

ギグでは途中で帰ろうとするメンバーを宥めたり、インタビューやプロモーションでは悪ノリするメンバーを制してバンドとしての姿勢を誤解のないように語ったりする。

もちろんその笑顔から伺えるように単純にむちゃくちゃいいやつみたいで業界内での繋がりも多い。

ざっくりと一覧にまとめてみると・・・

  • カート・コバーン(”ニルヴァーナ”のフロントマン。ライブでのゲスト出演歴多数)
  • トム・ヨーク(”Radiohead“のフロントマン。2012年よりトムによるバンド”アトムス・フォー・ピース”にメンバーとして参加)
  • リバー・フェニックス(フルシアンテともドラッグ友達だったフェニックス。親友であるフリーが最期を看取ることになった)
  • アラニス・モリセット(”You Oughta Know”の制作などに参加。この時はレッチリの元ギタリストのデイヴ・ナヴァロも一緒だった)
  • ミック・ジャガー(ソロアルバム”Wandering Spirit”の制作に参加)
  • ブライアン・フェリー(ソロアルバム”Avonmore”の制作に参加)
  • トム・ウェイツ(氏が昔行きつけにしていた”サンボーン・ハウス”というバーをフリーが非営利の音楽学校に改築。意気投合した二人はお互いに制作などで助け合う)

ちなみに”バック・トゥ・ザ・フューチャー”の2・3を始めとして、数多くの映画に役者として出演していたりする。

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ロッキンオンより

ベースプレイヤーとしての評価なんかはもうここに書く必要がないくらい世界に知れ渡っていることなんだけど、みんなが最初にレッチリの音楽に触れて「なんだこれ!?」とか「今まで聴いてきた音楽となんか違う!」ってなるのは、この人のベースラインのせいだと個人的に思う。

(アラフォー世代は洋楽の入り口としての”レッチリ”を避けて通ることができない)

特に初期の作品に関しては(Californication以前)フリーのベースラインありきで作られた楽曲が多く、アンソニーのラップとの相性の良さが”Red Hot Chili Peppers”のアイデンティティであったと言える。

この人をフェイバリットに挙げるベーシストは多く(多分日本で1番多いんじゃないかな)その多くは根性で指引きとスラップを習得するので手練れが多い。というか意地でもピックを使わない人が多いしこれは偏見かもしれない。

レッチリのドラム「チャド・スミス」

Michelle Rosen Artより

自分たちの全ての曲を愛してるよ。全曲俺たちの子どもみたいなものだ

チャド・スミス(英: Chad Smith、1961年10月25日 – )は、アメリカ合衆国のドラマー。ロックバンド、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのメンバーとして知られる。「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のドラマー」において87位。フルネームは、チャドウィック・ゲイロード・スミス(Chadwick Gaylord Smith)。

wikipediaより

心優しい巨漢ドラマー「チャド・スミス」。(身長191㌢)

1989年加入なので「Mother’s Milk」時代から2021年現在まで、レッチリの全ての作品でドラムを叩くまさに”鉄人”のような人だ。

元ドラマーのジャック・アイアンズの脱退に伴うオーディションに受かりレッチリに加入する。

(そのオーディションでは「なんでこんな体のでかいメタル野郎が俺たちのオーディションにくるんだよ・・」と思われていた)

以前はGAPの販売員をしたりパンケーキハウスで皿洗いをするなどしていたそうで、理解のある家庭・ご近所に恵まれ、地下室のドラムセットを叩き続ける生活を送る。

(服のたたみ方がヘタクソで解雇されたりと就労には向かなかったようだ)

この人も様々なビックネームの後ろでドラムを叩いており、知っている分だけ例を挙げてみると・・

  • グレン・ヒューズ
  • ジョー・サトリアーニ
  • キッド・ロック
  • ジョージ・クリントン
  • ジョン・フォガティ
  • サミー・タイガー
  • B’z

などなど。ちなみにフルシアンテのソロ作品にも参加するなどしている。

その他後述するが、ドラムクリニックなどの活動以外にもチャリティ関連の活動が多く、5児の父らしく優しい心の持ち主であることが伺える。

チャド・スミスの場合(フリーもそうだけど)教則DVDなんかが何本か流通していたりもするので、プレイスタイルとかメソッドが知りたいのであればそちらを参考にした方が確実だと思う。

ともあれこの人のプレイスタイルを簡潔に表現するならば”パワフル”に尽きる。

エイトビートをただ叩くだけでこんなにかっこよくなる人ってそういない。

デトロイト出身のチャドは、他のメンバーに比べてモータウンに直接影響を受けており、その他練習の教材としては”ジョン・ボーナム”(レッド・ツェッペリン)や”ミッチ・ミッチェル”(ジミヘン)などに合わせて練習をしていた。

グルーブがあって安定感がありしなやかでパワフル。

理想のロック・ドラムプレイヤーとしての完成形がチャド・スミスだ。

アーティスト:チャド・スミス
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レッチリのギター「ジョン・フルシアンテ」

mediumより

私が私自身でいることを喜んでくれる人たちがいることを心から嬉しいと思う

ジョン・アンソニー・フルシアンテ(英語: John Anthony Frusciante, 1970年3月5日 – )は、アメリカのミュージシャン。レッド・ホット・チリ・ペッパーズのギタリスト、ボーカリスト。

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において、2003年には第18位、2011年の改訂版では第72位となっている。

wikipediaより

18歳で”Red Hot Chili Peppers”に加入するまで実質的にはバンドでの活動をしてこなかったギタリストの「ジョン・フルシアンテ」に関しては書きたいことが山ほどある。

それは別に「ローリング・ストーン誌の選ぶ最も偉大なギタリストランキング第何位」とか「現代の三大ギタリストの一角を担う存在」とか全然そんな話ではない。

繰り返しになるが”Red Hot Chili Peppers”を語る上で最も欠かせないのが、そのようなバンドの”外的要因”などではなくて楽器を鳴らしている人間たちの”関係性”なのだ。

しかしその関係性を語ろうと思えばこのフルシアンテの項目だけで2万字くらいは書かなくてはならないだろうし、既にこの記事は1万字に達しようとしている。これは雑記ブログとしてはカオス的な文章量だ。

なのでここでは泣く泣くいろいろ端折りながらフルシアンテの歴史を箇条書きにしてみることにする。

  • ギター少年だったフルシアンテは元々はレッチリの”ファン”でしかなかった
  • 1988年、フルシアンテがレッチリに心酔した理由であるギタリスト”ヒレル・スロヴァグ”の急逝
  • 憧れのバンド”Red Hot Chili Peppers”への加入(元々知り合いだったフリーにオーディションを受けるように促される)
  • 自身のアイドル(ヒレル)との比較からくるプレッシャー
  • バンドの商業的成功からくるジレンマ(フルシアンテはパンクロックを愛していた)
  • 1992年、フルシアンテの1度目のレッチリ脱退
  • ドラッグへの依存・壮絶なリハビリ(うつとの戦い・皮膚移植手術・歯は全てインプラントに)
  • 1999年、枯れたギターへの進化・レッチリ復帰
  • 異常なまでの創作活動(6ヶ月の間にソロアルバムを6枚リリース)
  • 2009年、フルシアンテ2度目の脱退
  • 2011年、レッチリがロックの殿堂入りするもフルシアンテ姿表さず(単純に興味がなかったようだ)
  • 2019年、フルシアンテのレッチリ復帰がアナウンスされる

こんな感じですかね。今度フルシアンテだけの記事でも書いてみようかな。2万字でも収まらない気がしてくるけれど。

プレイヤー視点としてフルシアンテを見てみると、その時代ごとに変化したプレイスタイルを取っていることがわかってくる。

18歳時に”Red Hot Chili Peppers”に加入して最初に制作を行ったのは「Mother’s Milk」。

このころのレッチリはまさに”ミクスチャー・ロック”全開。

先に述べた前ギタリストであるヒレルの幻影を追っていたようで、フルシアンテ本来のプレイスタイルというよりはそれまでのレッチリを踏襲したようなギターサウンドを聴くことができる。

(ファンクっぽいカッティングとハードロック・ディストーションのコントラストに特徴が見られるプレイ)

憧れのバンドに入った18歳がサウンドのイニシアチブを取ることはやはり難しかったのだろうか。

プロデューサーとの意見の相違などもあったようだが、基本的にはバンドサウンドに寄り添うような形で制作にあたっていたことが伺え、この傾向は1度目の脱退まで続くことになる。

脱退後はドラッグによる心身的な問題によって、一時はギターを演奏することがままならない状況に陥ってしまうフルシアンテ。

その後紆余曲折あって「Californication」にてレッチリの制作活動に復帰。

バンド参加初期に見られた技巧的な特徴は鳴りを潜めるが、その分サウンドそのものの質感の向上や、メロディーにセンテンスを差し込むなどギターという楽器を思想的に進化させる。

いわゆるフルシアンテ後期の”枯れたサウンド”と評される独自の境地に達し、ドラッグの克服後は様々なアーティストと交流を持つようになる。

(ビョーク・ナインインチネイルズ・レディオヘッドなど)

その後は2度目の脱退などもあったりするのだが、これは初回の脱退時のような”心身ともに絶望的な状況からの脱退”ではなく、あくまでもフルシアンテ個人の創作を尊重するためのバンド全体の回答だった。

円満にバンドと別の道を歩んでいたフルシアンテだったが(この脱退期にはレッチリメンバーともソロ活動の協力をしあったり、別プロジェクトの活動を一緒に行ったりしている)2019年よりまたレッチリに帰ってきてくれることになった。

本当に本当に、嬉しい。

qeticより

大きな興奮や万感の思いと共にジョン・フルシアンテがグループに再加入することを発表します

それに伴ってフルシアンテ不在のレッチリを支えてくれていた”ジョシュ・クリングホッファー”の脱退もアナウンスされた。

彼がいなければレッチリは10年以上”ロックバンド”という形態を保っていられなかっただろう。

レッチリを守ってくれてありがとう。ジョシュ。

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NME japanより

レッチリが伝説の理由・エピソード集

やはぁ〜っとメンバーの紹介が終わったので、ここからはタイトルにもあるように、”Red Hot Chili Peppers”の伝説になっているエピソードに触れていこうと思う。

ダラダラ書いていると2万字書いても終わらなそうなのでサクサクっとレッチリの名エピソードなどを紹介してみる。

行くよ〜。

レッチリの伝説エピソードその1・チンソックス事件

redditより

レッチリのアンコールといえば”チンソックス”なのは有名な話

はい。まずはレッチリと言えばこれ。”チンソックス”ですね。

もともとアンソニーのこだわりから始まったアンコールの名物企画でしたが、その姿でのライブの熱狂的な盛り上がりから”Red Hot Chili Peppers”には欠かせない要素になっていきます。

(最初にお披露目したのは1983年!アンソニーが当時付き合っていた女性に行った悪ふざけが発端)

もちろんソックスが外れてしまうとそのメンバーは強制的にお縄になってしまうので、激しいドラミングで度々ソックスが外れてしまうチャドのティムコにローディーが神速の早業でタオルを巻きつけるのが隠れたアンコール名物だった。

(アメリカでも州によっては公然わいせつ罪に該当する。というか1989年にアンソニーはヴァージニア州で、公然わいせつで有罪判決を受けたりしている)

ついでにこれもめちゃくちゃ余談だけど、先述したフルシアンテ加入時のオーディションはギタープレイの他に”オティンティンチェック”も行われたそうな。

(メンバーたちはフルシアンテのジョンを見て互いに頷き合い正式に加入が決まった)

レッチリの伝説エピソードその2・バンド外の活動がイケメンすぎる

tone deafより
  • アンソニー・(2008年、PETA(動物保護団体)の選考で”世界で最もセクシーな男性ヴェジタリアン”に選出。)
  • フリー・(LAに非営利の音楽学校を設立。恵まれない子供達に音楽を教える)
  • チャド・(多くのチャリティーに参加。小児専門病院などを支援)
  • フルシアンテ・(ヴィンセント・ギャロ監督の映画『ブラウン・バニー』などに楽曲提供)

ここに書いてみたのはほんの一例だけど、レッチリくらいのビックネームになると、各々が行うバンド以外の活動も注目されるようになる。

これ以外だとアンソニーはあの”シーシェパード”のスポンサーだったりするし・・(イケメンなのかはちょっとわからない)

フリーは“トム・ヨーク”とのバンドや、“デーモン・アルバーン”とのプロジェクトがあるし・・(友達多いな)

チャドは自分の音楽プロジェクトやチャリティ関連に忙しい。(サーファーズ・ヒーリングやミュージケアズへの支援活動も行う)

フルシアンテはそういう意味では映画音楽の製作や、音楽プロジェクトへの参加など、割と”音楽一筋”なのかも。(ジョシュとも一緒にバンドやってるし仕事人って感じだ)

4人とも各々活動の個性があって面白いなぁ。

レッチリ伝説エピソードその3・バンドの人間模様がドラマすぎる

pulzoより

レッチリの長いキャリアは現メンバーである4人だけでは語りきれない人間模様がある。フルシアンテの憧れの存在であり、フリーにロックを教えたアンソニーの無二の親友である”ヒレル・スロヴァク”。フルシアンテと親交が深く、ツアーのサポートミュージシャンから正式メンバーになった”ジョシュ・クリングホッファー”。チャドと親交が深く、名盤『ワンホット・ミニット』の時期にギタリストとして在籍していた”デイヴ・ナヴァロ”。レッチリの初期メンバーでありヒレルの親友だった”ジャックアイアンズ”は親友の死後、精神状態を悪化させ脱退。”パール・ジャム”へ移籍し”エディ・ヴェダー”を発掘。両バンドの橋渡し役を担った。

最初に言ったように”Red Hot Chili Peppers”ってバンドを語るのに避けて通ることが出来ないのが”人間模様”だ。

バンドのキャリアの中で中心になってきたのは間違い無くアンソニーとフリーの二人ではあるけれど、途中の人間関係1つ1つがなかったらバンドの歴史は現在まで続かなかったと感じるし・・

個人的に”パール・ジャム”とか”ニルヴァーナ”が大好きなのでグランジ界隈の人と密接につながっている話が興味深い。

もちろん現メンバー同士の結束もバンドの歴史の重みの中に感じられるし、それゆえ端的にメンバー間の感情を表現することはなかなか難しい。

レッチリメンバーはもはや家族みたいなものなのだろう。

ドラッグでもがき苦しんだ末にバンド(フリーの存在は本当に大きい)に救われたアンソニーやフルシアンテは特にそう感じていると思うし、フルシアンテが2度目の脱退を宣言してバンドの解散が危ぶまれていた時期のフリーのコメントが”Red Hot Chili Peppers”ってバンドの全てのような気がしてくる。

やっぱり、休んでいた間の俺にとって一番重要だったことで、

やっぱりバンドを続けたいっていう気持ちにさせてくれたものは、

特にあいつ(ジョン)がもうバンドに居続けたくないって決心してからというもの、

俺があらためてわかったのは、結局、アンソニーは俺の兄弟だってことで、

俺はアンソニーをたまらなく愛しているし、

このバンドはそもそもアンソニーと俺とがまだガキだった頃に俺たちで始めたってことだったんだよ。

俺はそれをまだ続けたかったし、それを手放したくはなかったんだ

フリー

レッチリ伝説エピソードその4・グラミー賞取りすぎてる

pinterestより

1993年・2000年・2007年に合計で6つものグラミー賞を受賞

まぁ本人たちはあんまりこだわったりしていないようですが(フルシアンテは特に)グラミー賞めっちゃ受賞してます。

1993年は”Give It Away”で最優秀ハードロック・パフォーマンス賞を。

2000年は”Scar Tissue”で最優秀ロック・ソング賞を。

2007年は”Dani California”で最優秀ロック・ソング賞とパフォーマンス賞を取った他、収録されていた2枚組のアルバム”Stadium Arcadium”がアルバム賞とパッケージ賞を受賞していた。

まさに2007年は「レッチリの年」だった。

レッチリの名盤5選・おすすめ曲

だいぶ端折ってサクサク書いてきたつもりだったけれどもうこんな時間。

やっとおすすめ曲セクションにたどり着いた。

読み飛ばしてここまで来てくれた人も、この辺の曲を聴いて「良さみ深いじゃん」って思ったならメンバー同士のドラマも調べてみてくださいね。

そこにレッチリのレッチリたる所以があります。だからこれだけ前置きが長くなったのです。

とはいえ40年近いキャリアのバンドなので、オススメ楽曲もかなり絞らざるを得ない。

(だからちょこちょこ動画を貼ってきました)

そんなわけで、個人的に思い入れがある”Mother’s Milk”(1989年)から”Stadium Arcadium”(2006年)までの時期のトラックを紹介してみようと思う。

どれもこれも名盤である。本当にほんとうにおすすめ。

名盤・Mother’s Milkから”Higher Ground”

“輪廻転成”を歌ったスティービーワンダーのカバー曲がバンド初のスマッシュヒットになった。

キャリア初期のバンドのターニングポイントになった”Higher Ground”はカバー曲でありながらスラップベースにより大胆にアレンジされた、もはや”Red Hot Chili Peppers”の代表曲。

(スティービー本人にも大ウケだったそうだ)

先述したようにフルシアンテがバンド内で自身のサウンドを模索していた時期の作品でもあるので、今聴いてみるととてもフルシアンテのプレイとは思えなくて逆に新鮮だったりする。

重たいディストーションでリフを刻むフルシアンテを堪能できるのはこの時期だけかもしれない。

ハードロック期のレッチリの名盤。

(ちなみにプロデューサーと争っていたのはフルシアンテのみならず、アンソニーとの折り合いも悪くこのプロデューサーとは仲違いになった)

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名盤・Blood Sugar Sex Magikから”Under the Bridge”

感傷的にアンソニーが”橋の下でのドラッグ”の模写を綴った”Under the Bridge”。名盤には良メロの名曲が入っているものだ。

イントロの美しいギター・アルペジオと、センチメンタルなリリックは当初「このバンドらしくない」とのことでお蔵入りになる予定だった。

ドラッグによって亡くしてしまった盟友”ヒレル”と、レッチリの故郷であるLAの風景が聴く者の脳裏に浮かんでは消える名曲中の名曲。

「ダウンタウンの橋の下で、俺は人生を投げ捨てた」

僕はこの歌詞の一節がどうしても気になって、アンソニーの自伝を読みました。

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名盤・Californicationから”Scar Tissue”

名盤”カリフォルニケイション”の中でも一際アメリカの泥臭い空気を放つ”Scar Tissue”。

バンドに復帰したフルシアンテの”枯れたギター”が全面に押し出された“Red Hot Chili Peppers”第2章の幕開けを感じさせたトラック。

「孤独な景色」と「ドラッグ」を歌うアンソニーが個人的には1番好きだったりする。

なんだかレッチリっぽくない曲ばかり選んでいるような気がしてきたけれど、好きなのだから仕方ない。

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名盤・By the Wayから”By the Way”

ロックアルバムの金字塔”By the Way”からはタイトルチューンの一曲目を。

とにかくどれか一曲を選べと言ってもかなり難しい。そのくらい完成されたアルバムだと思う。

チャドがこのアルバムに関してのコメントで「very John」と表現したように、フルシアンテのギタープレイ・コーラスワークが全体的にグイグイ来てる。

今までのハードロック色・ファンク色・ヒップホップ色がマイルドになって結果的に今まで以上に、世代や国を超えて広く愛される作品になった。

「なんだかレッチリってピンとこないんだよね」って言う人はこのアルバムから聴いてみるといいかも。

ポップでキャッチーな名盤中の名盤。

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名盤・Stadium Arcadiumから”Wet Sand”

全世界を席巻した”Stadium Arcadium”からはバラードのこの曲。

いい曲なのにあまりに知名度が低すぎる気がするので載せてみます。

“木星”と”火星”の豪華な二枚組デラックスパックは合計28曲にもおよぶ超大作。超名盤。

そのほとんどでフルシアンテのギターソロを聴くことができるのだけど、実はこれらの演奏は即興でレコーディングされたものだとしてファンを驚かせた。

(Dani CaliforniaとMake You Feel Betterだけは譜面を書いた)

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レッチリの名盤5選・バンドの歴史と伝説エピソード【まとめ】

ということで今日は”Red Hot Chili Peppers”について書いてみました。

レッチリを名前しか知らない世代に、少しでも彼らの魅力が届いてくれるといいなぁ。

最近はファンの規模が大きくなるにつれて、大人たちは音楽を虚像にしてしまいがちだけれど(電子音や同期音源の必要性もわかるけれどね)レッチリの4人はいつだって”自分たちの音”を鳴らしている。

ギターやベースがアンプに繋がって箱が振動する。大男が太鼓をむちゃくちゃに叩いて、ロックおじさんの叫びが僕らの声を代弁する。

人の発する物理的な空気の振動が、僕らの鼓膜に届いて、最終的には心を震わせる。

どんな大きな場所に行ってもレッチリは当たり前にそれをしてくれるし、

いつだってアラフォーたちをバンド始めたての高校生みたいな気持ちにさせてくれる。

そういった温度とか熱量を保ったまま、音楽を続けているのってすげーと思うのです。

受けた恩は誰かに返せと言うひとが多いから、自分がPAする時いつもレッチリのことを思い出すことにしている。

俺にできる数少ないことは、いろいろなアーティストがくれたパワーを忘れないで心に保存しておくことなのだろう。

巨大化したマーケットの中で”ただのロック野郎”で在り続ける4人にこれからも大注目していきます。

今日はこんなところで。

最後まで読んでもらってありがとうございました。おやすみなさい。

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