人はなぜ「夢」を求めるか・ジャンプ世代と明晰夢

考察してみた

明晰夢について考察・体外離脱?夢占い?

こんばんわー。ジャンプ黄金世代のイチローです。

今日は「夢」についてです。

といっても将来のなりたいものとかじゃなくて、睡眠中に見る方のです。

最近知り合いに教えてもらったのですが夢を見ている間に「夢」自体に自覚して、自分の思い通りの行動を取ることができる現象を「明晰夢」というそうです。

今回もリクエストテーマなので、この記事のミッションとしてはテーマ内容の当事者を増やすことと、どれだけくだらなく且つ読み物としての単純な面白さを伸ばしていけるか、って感じなのかなぁ。

僕は精神もフィジカルも高校2年生の女子くらいの強さしかないので、ちょっと挫折しそうです。

自分の数少ない長所は、諦めの早さから派生する切り替えの速度にあると思う。

友よ・・・

ーーーイチロー(PA/睡眠不足)

明晰夢(めいせきむ、英語: Lucid dreaming)とは、睡眠中にみる夢のうち、自分で夢であると自覚しながら見ている夢のことである。明晰夢の経験者はしばしば、夢の状況を自分の思い通りに変化させられると語っている。[1]

Wikipediaより

明晰夢を見るには・方法・やり方





・金縛り・なぜ明晰夢を求めるのか

明晰夢について調べていく中で思ったのは、なぜ「いかにして自分の夢を思う通りにコントロールするか」に関しての文献しか出てこないのだろう?ってことだった。

ちなみに明晰夢を見るための方法として推奨されている方法を簡単に紹介してみる。

  • 夢か現実かチェックすることを習慣づける
  • 睡眠中に強制的に起きて「寝ぼけている」状況を作る
  • いわゆる「金縛り」の状態を恐れないでまどろむ

ザーッと調べてみるとこんな感じの内容がどのサイトでも推奨されていた。

(僕は金縛りになりやすい体質なので思うのは「金縛りを恐れないのは無理」ってこと)

とりあえず「明晰夢見たい!」って気持ちがみんなの中にあって、そのコントロール法が紹介されているサイトが目立つ。

リクエストをくれた人には本当に申し訳ないのだけれど、僕が気になったのは明晰夢を見る手段じゃなくて「なんでみんな明晰夢を見たいのか?」って方だった。

加藤鷹プロデュースの「絶対に女が惚れる香水」も使っているし、織田ム道のお祓いだって受けたのだが、どうしても自分のひねくれた性格が治らない。

夢の見すぎで目が悪くなったジャンプ世代

実際の生活で広がる光景は、僕たちの妄想していたフィクションとはあまりにもかけ離れているのは説明するまでもない。

人生は素晴らしくて、努力は必ず報われて、運命の人が必ず待っているストーリーを信じ込まされたジャンプ黄金世代の僕たちにとって現代社会はあまりにも殺伐としすぎている。

その中でフィクションからノンフィクションを行き来する現代人は、躁と鬱を繰り返す病人と大差ないのかもしれない。

ちなみに僕が覚えている夢の光景っていうのは、高熱にうなされた時に決まって見る不気味な遊園地の夢。

1回その光景を絵に描いてみようと試みたことがあったのだが、伸びきったVHSのように劣化しきったその絵を見て「これは常人の描く絵ではない」と思い怖くなって捨ててしまった。

まぁその映像が正しいか正しくないかはさておき、脳内に記憶として残っているのがそんな「悪夢」としてカテゴライズされるべきものなのだ。

どーせフィクションなら楽しみたいと思うのが人間の性。

宇多田ヒカルだってジャンプ世代の僕だって待つのはあんまり得意じゃない。

「それなら自分で見る夢をコントロールしようよ!」

ってなるのはすごくわかる。ものすごーくわかる。

きっとみんなの明晰夢に対する思いとそんなに違わないはずだろう。おそらく。

社会に適応するためのフィクション

以前の記事にも同じようなことを書いているけれど、くだらないことで自分を保っていられる人っていうのは自分のコントロールが上手い。

散歩とか家事とか猫の動画とかそんな些細なことで自分の気分を調節できる。

逆に自分のコントロールが下手な人は、1度つまづいてしまうと1日中落ち込んでいる。

寝坊してしまったので家から出ないとか、気分が乗らないから誰にも連絡しないとか。

ただ僕ら現代人は強迫観念的に「日々の充実」を求めがちだけど、実はこの辺の個人の生活の良し悪しをジャッジできる存在なんてのはありえない。

あるとしたら、せいぜい日々の生活を送っている本人が満足しているかどうかだろう。

突き詰めれば「いい気分」の瞬間をつなげていくことができるなら人生はイージーモードになりえる。

というか子育てしていて思うけど、人間の行動の成功率なんて良くて50%くらいだと思う。

そんな半々くらいの比率の「成功」とか「失敗」とか「幸せ」とか「不幸」に自分の行動や気分を制御されるので疲れてしまうのだろう。人生ってやつは。

様々な結果を「過程」とみなして一喜一憂することなく自分の気分をコントロールできるようになれれば、いくらか生活も快適になりそうなものだ。

そういったことなので、どうしてもフィクションが必要になってくる人種は出てくるし、自らのチューニングに「明晰夢」はうってつけコンテンツになりそうな予感がする。

自分を支配できるのは、自分だけ

ーーーペニー・ランボー(CRASS/ドラム)

フィクションは人を救う・明晰夢の危険と注意点・まとめ

色々フィクションの必要性について書いてみたけれど、実際の社会生活において現実世界のことしか興味のない人よりもフィクションの重要性をわかっている人の方が精神的に安定していることが多いように思う。

精神自体が目に見えない概念なのだから、それを支える支柱としてフィクションが有効なのは当たり前なのかもしれない。

現実を唯一のものとして信じ込んでしまうと、それが崩壊してしまった時につかまって立ち上がるものがなくなってしまう。

だから絶望的な状況の時ほどにフィクションは僕らを救ってくれるのだろう。

現実には役に立たないまぼろしも、使い方次第で生活に豊かさと安定を与えてくれることを僕自身も実感している。

ドラえもんより

これらを踏まえて明晰夢を使用するにあたって一つだけ重要なことがある。

明晰夢で「何を実現したいのか?」を僕が気にする理由がここにあって、VRなり自分の睡眠中の夢で欲望を実現させるという行為はあくまでも「欲望の確認作業」であって「欲望の実現」ではない。

欲望は求めているものから距離があるから発生する現象で、対象への到達ということではない。

例えば明晰夢の中で「あの子と付き合いたい」欲望を叶えたとしても、目が覚めた後の現実のあの子は自分を救わないだろう。

そういった「まぼろし」が人を励まし突き動かすことは往々にしてあるけれど、それは心に灯る情熱の話で、自己満足のための欲望の類のことではない。

人は好きだったものが自分を救わないとわかると途端に幻滅したり怒ったり嫌いになったりするけれど、それは対象を「好き」だったのではなく「依存」していた状態だったのだといえる。

この辺のことは外部から見ると当たり前に感じるけれど、当事者になると忘れてしまうことが多い。

だから明晰夢の使用条件として「その夢を見た後の自分をもっと好きになれる」という使い方が良いのではないだろうか。

それがフィクションとの大人な付き合い方だろう。

その辺も明晰夢の各サイトで推奨してもらえると身近な娯楽として栄えていきそうな気がしている。

結構適当なノリで書いてしまったので最後くらいちゃんとしたことが言えてよかった。

スペシャルサンクスです。

finです。

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