「ぼる塾」ノミネートの謎・1億総コミュ障時代の到来

考察してみた

「まぁねぇ〜」が流行語大賞にノミネート・考察してみる

はい。2人目育児真っ只中のイチローです。

上の子の寝かしつけが終わって、下の子にゲップをさせたので、これから「ぼる塾」について書いてみようと思う。

なぜかよくわからないけど生きていると深夜に自分もよく知らないお笑い芸人の記事を書く事もあるらしい。

そんな感じで1日が過ぎて、1か月が過ぎて、1年が過ぎていつの間にかけむりと骨に分けられてしまう。

そんで土に埋まって海に沈んで原油になってLPガスとかナフサ、あらゆる油、アスファルトに分別されたりもする。

そんで最終的には薄いビニール袋になって海を漂うのだと思う。

つまりは僕はビニール袋みたいなもんだ。あなただってそうだ。

“まだ酔っ払ってない”っていうやつは基本的にもうテケテケな状態だから、多分僕もすでに酔っているのだと思う。

このブログを書き切れるのか既に暗雲が漂っている。

いや漂っているのはビニール袋である僕である。

そう、これはパラドックスでもある。

そもそも「ぼる塾」ってだれやねん

僕は色々なことに煮詰まると(この場合の煮詰まるは行き詰まるの意味)よく人に相談する。

顔の知っている友達や顔の知らない友達、顔の知っている他人や顔の知らない他人。

今ではいろんなツールや手段があるし、僕が割とマジメに発信していることを知っている周囲の人達は本当に親切にしてくれるのでとても助かる。

そういった人たちになんらかの貢献をしたり、どんな形でかの還元ができればと強く願う。

とはいえ子供の頃から悟空さの元気玉よろしく「みんな一丸となって」みたいなのはメチャ嫌いだったので、目と手と気持ちの届く範囲にしておこう。

世界は平和になって欲しいけど、決して一つになって欲しくはない。

今回の記事は僕の好きなイラストレーターさんとのやりとりからヒントをもらった。

というか会話の中で「あ〜ぼる塾ね」みたいなこと言いましたが、全く知りませんでしたごめんなさいすいません。

いや考えなかっただけで、ぼる塾を感じてたんですほんとうです。

考えるな。感じろ。

ーーー 映画「燃えよドラゴン」より

ぼる塾(ぼるじゅく)は、吉本興業に所属する日本の女性お笑いカルテット。

元々は猫塾としんぼるという別々のコンビだったが、2019年12月7日より2組が合流し正式に4人組として活動を開始。カルテット名はそれぞれのコンビ名の一部を合わせたもの。

Wikipediaより
吉本興業より

とまぁ「ぼる塾だれやねん問題」はこのようにwikipedia先生にお任せすることにして、ここで扱うテーマとしては主になんで流行語大賞に「まぁねぇ〜」というなんともフワフワしたワードがノミネートされたのか?について書いてみようと思う。

あ、ノミネートの中に「フワちゃん」も入ってるのに「フワフワ」とか書いちゃった。

こういうところが素人くさくて本ブログの見所だったりするんですよ。はいはい。バックスペース押すのメンドくさいんで次に行きますね。

とりあえずこの「ぼる塾」のコント内のセリフ「まぁねぇ〜」が2020年流行語大賞の30選考にノミネートされた。

リセマムより

「まぁねぇ〜」の流行語としての可能性について

基本的にこのコントのように「ぼる塾は」トリオ編成の場合、

「小ボケ→ツッコミ→大ボケ(まぁねぇ〜)→ツッコミによるスポイル」の構成で話が進んでいく。

小ボケに関しては激しくツッコミが入るが大ボケに関しては完全に甘やかすスタンスを取ることで、レンジの幅をとった笑いを狙っているようだ。

最初に大ボケの方の年齢(なかなかに年上)を説明する流れはこのスポイルを効果的にする「フリ」なのだといえるだろう。

それでは早速ここで使用されている問題の「まぁねぇ〜」について考えてみる。

「まぁねぇ〜」は非常に便利な言葉だ。もはや魔法だ。

否定でも肯定でもないこの言葉は、微妙なニュアンスをつけることで大きく意味合いを変えることができる。

このコントで使用されているような使い方だと・・

ツッコミ「そのままでいいんですよ?」→大ボケ「まぁねぇ〜」

となるわけだが、文章にするとイマイチ温度感がわからないけど、

コントとしては「まぁねぇ〜(そんなのあたりまえでしょ?)」という意味合いになっている。

でも僕みたいなペシミストが年下の人間から「そのままでいいんですよ?」って言われたら、

「まぁねぇ〜(気を遣わせてるのかな・・本当にそうかな・・)」って思うに違いない。

否定でも肯定でも承認でも非承認でもない「まぁねぇ〜」は結構2020年ぽいかもしれない。

否定にも肯定にもイラつく現代人

会話の中で相手に否定されるとムカつくしイラつくだろう。

それが特に正論であればあるほどに。

なぜなら正論を言っている人間はあたかも「自分の意見」を喋っている振る舞いで「普通・常識」をひけらかしてくるが、その実ぬるーい「世間の連帯」みたいなものに自分の感情を代弁させているにすぎないからだ。

(僕は世間と話したいのではない)

この人たちのタチの悪い部分はあたかも「自分の言いたいこと」を持っているような雰囲気を装って議論を仕掛けてくるところだと思う。

(意思のない発言は糾弾したところで実体がないので誰も責任が取れない、むしろ責任を取ることを放棄した人間が自分の感情を世間に代弁させるのだと考える)

そして現代人のメンドくさい部分はこれに止まらず肯定してくる人間にもイラついてしまうのである。

単純に何もわかってない人に「お前の言ってることすごくわかるよ」って言われる例のパターンだったり、絶望的な状況の時に語られる根拠のない「希望」は人間をますます追い詰めるし、マジで鬱陶しい。

このようにコミュニケーションの方式や個人の価値観が多様化した現代においては、他人への肯定さえも「お互いの信用」なしには成立しないのだと考える。

いやはやメンドくさい。ウチの現代人がどーもスミマセンね。

会話はプロレスである・コミュ障のための「まぁねぇ〜」・まとめ

人との会話は難しい。

特にそれが対面だとなおさらだ。

今はもうテクノロジーの発展のおかげでコミュニケーションを取るために顔を付き合わせる必要がなくなったし、声さえも必要とされない。

現代人、現代人って言ってきたのはこの辺のことが1番大きな理由で、

コミュニケーション過多な時代において、実はほとんどの人間が対面コミュ障になっているのではないだろうか?

少なくとも僕はそうです。

対面の会話はすごく不便で、悪気なくチョイスした話題がいわゆる誰かの「地雷」だったり、

自主性のない他愛のない返答に自分自身もすごくキズついたりする。

違う考え方の人間が一緒に社会生活を送るのだから、大抵の会話の中で否定も肯定もせずに「ただ受け入れる」ということが頻繁に必要になってくるだろう。

会話は相手の喋っていることを感じれば成立する。

うかつな同意は相手をキズつけかねない。

ただ僕はブルース・リーのような天才じゃないので、いつだって考えなきゃいけない。

考えろ・感じろ

ーーーイチロー(アラサー/PA)

お話の中で自分が投げられなきゃいけないシーンの時は自分も協力して「投げられ」にいかなきゃいけないし、そうすることで自分が相手を投げたい時にお互いの信頼関係から「投げさせて」もらえる。

これがいわゆる会話の中での「肯定・否定の成立」で、そういう意味で会話はプロレスに似ていると思う。

関係ないけど僕は獣神サンダー・ライガーと同じ誕生日だ。

新日本プロレスより

ここまで考えてみて今年の流行語大賞に「まぁねぇ〜」が入っていることは、言葉の持っている特性を考えてみると非常にトレンディでナウくてマジ卍なのだろうきっとおそらくたぶんぜったい。

思うに「ぼる塾」の知名度とかは意外と関係なくて、会議の中でだれかが「まぁねぇ〜」って言ってそれが拾われたんだと推測する。

生活に根付いていて汎用性のある言葉を審査員は見逃さないだろう。

(そんなこと言う芸人いませんでしたっけ?)

ノミネート30選考の中のNo.30っていうことを考えると、なんとなくこんな感じだと思うんだがどうだろうか?

まぁねぇ〜

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