【文化は不要か】働かないで生きるシリーズ6【ただの日記】

働かないで生きる

なんだか他人っていうのはすごくしっかりして見えませんか?

グラグラして不安定な自分に比べて、すごくちゃんとして見えたり芯が通っているように見えたり。

自分以外の人間へのそんな思い(偏見?)みたいなものはずっと昔からあって、

基本的にそんな風に他人を見ているもんだから、1度憧れてしまったりするとそれはもう盲目的にその人を信頼してしまったりするところが僕にはある。

久しぶりにそういった人たち(具体的には従兄弟のお兄さんだったり仲の良かった先輩)に会って言われるのが・・

「お前と一緒にいるとプレッシャーだったわぁ」

とか、

「手放しで尊敬されている状況は苦しかったなぁ」

みたいなこと。

まぁ言われてみれば歳の近い相手に無条件で熱烈に尊敬されたらそりゃ苦しいよな・・と今では思います。

自分の中でもそれらの人への憧れは昔ほどではないにしても未だに熱を帯びていて「隙あらば力になろうぞ」みたいな心意気で今も生きていたりする。

ここまで言っといてなんだけれど、僕の尊敬してきた人たちっていうのは特殊な能力やコネクションがあったり、容姿が人並み外れて優れていたりするわけじゃない。

どちらかというと普通の感覚で普通に生きていて、とてつもなく些細なことで笑ったり救われたりしている人たちが多かった。

昔好きだったものを丁寧に箱に戻してしまっておける人だったり、誰にでも分け隔てなく丁寧な挨拶ができる人だったり、まぁそのくらいのことなんだけど。

強いて挙げる共通点としては、みんな自然に対する考え方とかお金に対する軸足の置き方なんてものを持っていたことだろうか。

僕はそんな押し付けとか洗脳のような(常識的に良いとされているもの全般に感じる違和感)ものではない「普通」に強く憧れていて、そんな人たちの様になりたいと思っていた。

人が些細なことで救われるためには、僕が尊敬してきた人たちみたいな「他者的でない価値観」が絶対に必要になるけれど、現在の日本はこれを育てていこうって感じはまるでない。

今の社会では個人の価値のほとんどが「他者的」なものに置き換えられて値踏みされる。

偏差値・学歴・職業・預金額・年収・容姿・年齢

この辺が評価される基準で、個人の大切にしているもの・声の質感・考え方みたいなものは全部無視される。

悲しさや怒りじゃなくて、社会がここまで人を置き去りにしていることが虚しい。

僕の大好きな人たちの価値は、数値化して誰かと比べて初めて分かるようなくだらない陳腐なものではない。

決して、ない。

ドラえもんより

社会の枠組みの中で生きていくにはお金が必要になるけど、一般的な方法を取ろうとすると先に述べた評価基準とか他者的な価値観によって、制約や前提条件が多くなってしんどい感じになる。

つまり社会の中である程度の水準で生きていこうと思ったら、さっき否定した「客観的な価値基準」を無視することができない。

パラドックスかもしれないけど「自由になるにはある程度の金がいる」ことを受け入れないと先に進めない。

僕がどれだけ大切な人に「あなたには価値があるよ」と言ってもお腹は膨れないし、金銭が降ってくるわけでもない。

今のような社会情勢の中で精神論一点張りで「金は重要ではない」と触れ回るのは、餓死寸前の人間に「キレイなお花をどうぞ」と差し出すようなものだろう。

(いや…団子をくれよ…)

だからこそ、生活に落とし込んだ具体的な金銭変換の一例を紹介してきた。

アンテナBOXより

凄くふさわしいところに自分が立ってて、凄くふさわしい行動を取っているような気がするんだよ

甲本ヒロト

ここで改めて自分の好きなカルチャーの大先輩たちについて考えてみる。

ヒロトとマーシーはデビューから30年以上経過してもなお精力的に音楽活動をしている上に、資本主義のエサになっていない、音楽を志す者たちの共通のヒーローだ。

彼らにとって社会は遊び場でしかない。

ヒロトとマーシーにとっては「楽しめること」が目的であり最終到達点。

その過程で出てくる客観的な数字は全部二の次で、彼らの行動を決める要素になり得ない。

ロックヒーロー・自由の使者・大人(資本主義)の敵である彼らにとって「それってつまりお金に換算するといくらになるの?」みたいな気持ちの悪い感性や言葉は一切通用しない。

社会に侵食している正しさの化け物みたいなものを次々に叩き潰していく。

だからヒロトとマーシーは最高にカッコいいし、カルチャーを超えてプレカリアートに絶大に支持される。

JUKELOGより

幸せを手に入れるんじゃない。 幸せを感じることのできる心を手に入れるんじゃ。

甲本ヒロト

このようにイチローは主に音楽分野の大先輩たちの行動や言葉に影響されてここまで生きてきた。

思うにある分野のカルチャーに傾倒したり心酔した経験がある人間は、何かの宗教に入信している状態とそんなに変わらないのではないだろうか。

単純な話、個人的な考えをまとめてみると「遊んでいるうちなんかお金がもらえる」っていうのが現状では最高にバランスがいいように感じるってことだ。

社会の枠組みの中で生活していく中で、他者的な価値観に囚われず、資本主義に出来るだけ加担しない。

お金を使うにしても、そのお金がどのようなルートで最終的にどんな力を生み出すのかを理解していれば、必要以上に資本主義を肥えさせることは避けられるんじゃないだろうか。

(資本主義の成長・格差社会・環境汚染の関係は切り離すことができない)

特に生活に密接に関わるもので、比較的高価なものには注意してみたい。

具体的には車や家に興味がなくこだわりもないけれど、必要に迫られて購入したり借りたりしなくてはいけないのなら、障害者雇用率が高い企業や、自然エネルギーに投資しているメーカーから購入するなど。

加えて思うのが遊びながら金銭をもらうってことは、人間の「何かしたい欲」を呼び起こす行為でもあるってことを伝えたかった。

子育てしていて思うけれど「何かしたいなぁ」っていう人の思いは、僕たち人間にとって生きる意味以外の何物でもない。

願望や欲求にまっすぐに取り組んでいる子供の背中は、まさに希望そのもののように僕には見える。

このブログによって、読んでいる人がもともと持っていた希望の芽に気付けたり、あるいは育てる結果に繋がれば最高だし、

僕自身も周囲の人たちに対して他者的な価値観で芽を摘まないようにしたいと、自戒を込めていたりもする。

そんな思いが漠然とあってずっとキーボードを打っていました。

毎回言っているような気がするけれど「遊びを金銭変換する」ってことは「自分が何を望んでいるか」を知っていることがすごく大切で、その段階から初めて「考える」ことに意味が生まれる。

(それより手前は生産性のない悩み)

「自分が何を望んでいるのかわからない」って人はマネタイズ云々よりもまず最初に自己分析してみるのが良いかと思う。

「していて気持ちのいいこと」「心地のいい時間」「憧れていたこと」

「何気なく人より上手にできること」「意識しなくても褒められること」

「人は嫌だっていうけど自分はそれほど嫌じゃないこと」

今なんとなく考えて思いつくのはこんなところかなぁ。

ドラえもんより

自分が何がしたいのかわからないってことは、他者の価値観を頼りに生きていくことになる。

人間は望みがわからない時は、より大きな可能性を手に入れようとするからだ。

より多くの時間・より多くの貯金・使わない道具・持て余す生命

別に一から十まで説明しなくても分かっている人が多いと思うけれど、この辺の可能性っていうのは見た目や数値上は増えていくのかも知れないが「幸せをチャージしている」感覚の人はちょっとヤバい。

だって達成すべきことのない人生において時間はただ過ぎていくものだし、

自分を満足させる術を知らない人にとって金銭は紙に垂らして舐める幻覚のようなものでしょ?

(半日で消えてしまう上に頭痛と自己嫌悪が待っている)

なるべく変な誤解がないようにしたいブログテーマだったこともあって、書きかけで何度も諦めてしまうパターンだったけど、久しぶりにいろんな人から声をかけてもらえて一応今回で書ききれそうです。

前にも言ったけど個人が考える正しさなんて結構どうでもよくて、考えるキッカケにさえなってくれれば最高です。

専門用語とか言葉の展開の速さで色んなものを置き去りにはしたくないし、されたくもないし、そういった事に価値も感じない。

働き方とかに悩んでいる人に対して、このブログが0から1へのスロープになればいいと思ってます。

その1の先にみんなの背中が見えたらこんなに嬉しいことはない。

今日もこれから先もずっとそんな感じ。

旅の目的はなにか・資本主義と豊かさについて

そんで今日はシリーズの最終回なんですが、金銭を稼ぐ方法というよりも資本主義から距離を置く視点で書いてみようと思います。

資本主義から距離を取る方法は金銭の稼ぐ遊びを増やすことだったり、労働や消費から距離を置くことだけじゃない。

日々の節約もそうだけど、個人単位での生活技術の向上だったり、突き詰めれば自給自足にまで発展する。

僕は地方出身なので田舎暮らしは想像しやすいし魅力的な部分も多いけれど、スローライフに憧れているわけじゃない。

働き方や遊び方の選択肢は少なくなるし、自分の現状の体力に依存する生活の方式には不安を覚える。

田舎で自給自足の生活を送るためにはあと何本かは生活の支柱になる遊び方が欲しいところだし、都市部で繋がった友達と離れてしまって刺激がもらえなくなるのも今はちょっと嫌だ。

それにどうせなら化石燃料への依存からも脱出したいからもう少しテクノロジーの様子見をしたいっていうのもある。

田舎での自給自足なんてかなり極端な例だけど今回のブログテーマの趣旨として言いたいのは、全てをお金と交換するっていう都市生活者のスタンダードな生活方式は、新型ウイルスどうこうっていうよりも安定性の観点から問題がありそうだってこと。

この問題を考えた時に、自分の本当に必要なものとか主観的な幸せの基準がいよいよ重要になってくる。

資本主義の枠の中で生きていると、いわゆる生き方とか幸せに関する「哲学」ってあんまり必要がないからだ。

地方移住が流行っていることにも関連している

哲学はお金を稼ぐということ自体にはほとんど役に立たなくて、資本主義を生きる人たちにとって大切なのは具体的なノウハウだけ。

思想・哲学・個性

この辺を全く持っていないとしても社会で生きていくためには全く問題ないわけです。

(場合によっては邪魔になったりもする)

でもこの状態で社会で生きていこうとするとさっき説明したように「他人の持っているものを欲しがる」という仕組みだけが残ることになる。

繰り返しになるけど、本当に欲しいものが分からないと、どの程度の金銭で自分が満足できるかが分からない。

本当にしたいことが分からないと、どのくらいの時間が必要かも分からない。

何も分からないから、無限の金銭が必要になって、終わりのないタイムアタックを強いられることになる。

(時間を短縮する贅沢のほかにも、手間をかける贅沢だってあるはずなのに)

可能性は意味もなく膨らんで、自分自身が何を為すべきかもどんどん分からなくなっていく。

それは人間としての豊かさからはちょっと程遠い状態だと考える。

世代だけどあんまり知らない

中学生の時にギターが弾けるって友達に言ったら、次の週に先輩からバンドに誘われたことがある。

「お前、ヒデのファンなんだってな!」

今の社会でも近いことがあって「ちょっと体調が悪い」っていうと

「それ、コロナじゃね?」

っていう流れにほぼ100%の確率でなる。

ギターが弾ける→ヒデ

体調が悪い→コロナ

哲学がない→資本主義の奴隷

こんな中学生レベルのビット数の少なさで全体を語ろうとしているわけではないけれど、それでも社会全体が効率や数字以外のものに目を向けるべき時期に来ていると感じる。

ブログを書くようになって色々な人が色々なことを言ってきたりもしたけれど、

結局のところ地球はわりと広いみたいだし、チューニングが合わない人とは四六時中一緒にいる必要はないし、同じレイヤーで会話しなくてもいいし、無理に分かり合う必要もないだろう。

お金とか効率を重視するのであれば、僕になんか関わっている時間だってもったいないはずだ。

それでも繋がった空の下にいるわけだし、同じ2020年に生存している。

そんな人たちとも、またいつかチューニングの合うタイミングで一緒に遊べたらいいなとも思う。

それとは逆に、文章を読んで何か始めてみたくなったなら、なんの足し算も引き算もしないでやってみたらいいと思う。

いつだって今日の自分が残りの人生の中で最も若いんだから。

まぁそんな大したことは紹介してきてないし、でもだからこそ誰にでも出来る素晴らしさがあるとも思っている。

パンを焼く

最近、自分でパンをこねるシチュエーションが多いのでオススメしてみる。

できる限り家族の食べるパンは自分で小麦からこねるようにしている。

キリストが自分のことを「天から来たパンだよ」って言ったことでも知られている通り、パンっていう食べ物は本当に多くの文化的な側面を持っていて突き詰めるとキリのない奥の深さがあるのだけれど、

コンビニやスーパーで売られているパンは、輸入や加工の過程が不明瞭で栄養素の観点から考えても魅力的なものとはいえない。

自分で生地から作っていければ安く上がるし栄養面でも単純化しやすいし、なによりうまいしおもしろい。

子供とだったら粘土遊び感覚でやれるし自分で作った達成感でよく食べてくれる。おすすめ。

自分で焼いた方が栄養価も高い

冷たい人においしい料理は作れない。

君は腕はいいんだ。きっと出来る。

ーーー ジャムおじさん(パン工場/工場長)

レシピ

  1. 強力粉300g
  2. ドライイースト3g
  3. 塩5g
  4. 砂糖5g
  5. 水200ml

まず最初に水以外の材料をボールに入れて丁寧に混ぜておく。

そのあと水を入れてひたすらこねる。

一次発酵の目安は生地の温度上昇にしている人もいるし、膨らんだ感覚を目安にしている人もいる。

温度なら2℃ほど。膨らみ加減なら1.8倍くらいかなぁ。

季節によって違うけれど、一次発酵は20分くらいのことが多いです。

んでその後食べやすい大きさに形成して二次発酵。

僕の家ではラップして冷蔵庫に入れてしまって次の日の朝に焼き上げます。

生地の膨張率は大体2倍程度を目安にしています。

オーブンは200℃で大体20分間。

ここで紹介した数字は全部季節とか天候によって変わるので、自分が住んでいる地域の気候とか水質によってベストなレシピは全然変わると思う。

そもそもロシアパンとかフランスパンだって、それぞれの風土にあったものが進化して今のパンの形になったという話だし、パン作りにおいて気候という要素を加味するならば「成功」とか「失敗」とか言うものもないのかもしれない。

栄養価

今回みたいに強力粉をメインで使えば、普段不足しがちな鉄分やビタミンBも摂取しやすいのでオススメ。

その他、カリウム・ナトリウム・マグネシウムなどのミネラルもバランスよく含まれていて、問題は発酵や生地管理の手間や面倒くささか。

詳しくは調べてないけど、間違いなくコンビニで買うよりは価格も抑えられる。

家計がピンチの時には米よりもパンの方が主食として活躍するかもしれない。

野菜を作る

新型コロナ騒動の渦中で野菜作りに注目が集まっている。

イギリスのトッドデーモンに代表される「エディブル・シティ」みたいなものが発生するタイミングっていうのは、不況によって雇用情勢が不安定になるタイミングだったりすることが多い。

それに気候変動が多い昨今の日本において、野菜の安定摂取のための自給はひとつの手段になりそうだ。

今は渋谷のど真ん中のライブハウス・TSUTAYA O-EASTの屋上にだって畑が作られたりしている。

農業分野において個人で出来ることはまだまだたくさんあると教えてくれた。

ここでは初心者向けに栽培に失敗しづらい野菜を紹介してみる。

渋谷文化プロジェクトより

人々は庭の手入れをすることを通して、食べ物を分け合うこと、お互いをケアしあうことを学ぶの。

それらを学んだ人たちは今度は地球のことを考え始める。

たとえば豆はここでも採れるのに、なぜアフリカからはるばる飛行機で運んでくるの?ってね。

ーーー Estell Brown(トッドデーモン・広報担当)

簡単に栽培できるもの・その1「トマト」

自宅のプランターで簡単に栽培できるトマトは超オススメ。

栄養の観点から見ても豊富なビタミンやリコピンはもはや語るまでもないだろう。

めちゃくちゃ色んな料理に使える汎用性の高さと、一度に収穫できる量の多さも魅力。

品種によっては害虫に強いもの(桃太郎など)もあるので、味が気に入ればそちらの方がさらに初心者向け。

植え付けは春先のものが多く、収穫は夏のものが多い。

太陽光が大切な作物になるので、日当たりのいい物件に住んでいる人にはとてもオススメできる野菜。

簡単に栽培できるもの・その2「シソ」

暑さに強い上に土の質も選ばないし、害虫にも強くて勝手にめちゃめちゃ増えるシソ。

特に青シソはより簡単に栽培が出来て、その日の料理に対して好きな量を収穫できるのでかなりお手軽。

スーパーで買うと5枚で100円とかするので、好きな人は是非栽培してみてほしい。

植え付けは春先で収穫は気候にもよるけど夏場から10月くらいまでだったら平気で生えている。

害虫には比較的強いけど、ネットくらいは貼っといた方が衛生的にもいいかも。

簡単に栽培できるもの・その3「ネギ」

毎日の食卓の薬味に欠かせないネギも最初の栽培にオススメの野菜。

暑さにも寒さにも強い適応性の高い優秀な野菜です。

特性上というか成長の速度が他の作物に比べてめちゃ早いので、春先に植えてその年に4回くらい収穫できる。

オススメの品種としては葉ネギで、苗でも種でもすごく簡単に育つ。

臭いせいか知らないけどあんまり害虫も寄ってこないし、虫が嫌いな人にもいいかもしれない。

ネギも日当たりは良ければ良いほど育つので、マンションのベランダでプランター栽培なんかでもよさそう。

こまめな水やりが大切なので、それだけできれば1本100円もするスーパーの高いネギを買う必要性も無くなる。

塩を作る

日本では岩塩が取れない。

すごーく昔に日本列島が海から盛り上がってきた時にすごい急激な地殻変動だったから。(だそうだ)

そんな感じなのでこの国で塩を手に入れようと思ったら生成された物を「買う」か、海水から「作る」という方法しかない。

海塩はその名の通り海水を乾かして作ることができる。

とりあえず海水を鍋で煮詰めてみよう。

鍋と火とコーヒーフィルターが欲しい

辛・酸・甘・苦の四味は、何年もその一つを絶ってもさしつかえないが、ただ塩だけは十日のあいだ禁断しただけで、体が衰弱してだるくなってしまう
ーーー 「天工開物」宋応星

レシピ

日本近海の海水には3〜4%ほどの塩分が含まれている。

これを煮詰めまくって塩をとる寸法。

義務教育の理科で習った通り、塩が水の中に溶けていられる量には限度があって、熱湯の中のその割合は22%だ。

なので海水の水分を蒸発させまくれば塩は取れる。

ただ塩分にもたくさん種類があって、日本の近くの海水の中だけでも5種類以上の塩分が溶け込んでいるので、煮詰めすぎるとアクの強い成分が出てきてしまってまずい塩になる。

実際に海水を煮詰めていくとアクっぽいニュルニュルした成分が出てくる。

これが「硫酸カルシウム」という成分で、海水から出てくるクセに難水溶性なので、コーヒーフィルターなどでろ過してやると簡単に取れる。

怖い名前だけど別に害はない。でも用もない。

理論上、この方法で1リットルの海水を10分の1くらいまでの量まで煮詰めると12グラム程度の塩を獲得することが可能だ。

塩の必要性について

冒頭の宋応星の引用の通り、人間は塩がないと生きていけない。

塩に限らないけど、必須のアミノ酸とか脂肪酸とかは人間の体内で生成出来ないので、どうにかして獲得する他ない。

人は脳からの命令が電気信号として神経細胞を伝わっていくのだが、この電気信号を伝える働きをするのが、塩の成分であるナトリウムイオンだ。

タンパク質や脂肪が身体を動かすエネルギー源になるのに対して、塩の役割は体内のシステムを守り、維持すること。

単純な話、塩が足りないと身体のあちこちが故障して働かなくなってしまう。

とはいえ正直釜炊きで塩を生成する方法は非効率だし、伯方の塩は1キロあたり400円程度で買える。

それでも遊びながら海で塩をゲット出来たとしたら?って考える。

ファミレスで友達と無駄話をする感覚で、焚き火してその結果、生きることに必要な栄養素を持って帰ることが出来たら?って考える。

「遊びながら生きていく」っていう意味を考えるのに「塩」は結構重要だと思ったので紹介してみた。

資産を丈夫にする

ここからはおまけになりますが、資産の運用の話です。

あくまでも儲けるための投資ではなくて、資産を強靭にするための運用の考え方。

基本的に日本国内で生活していると給料・貯金・不動産は全部国内資産なので、知らない間に大多数の人が日本経済に過剰に依存して生活していることになる。

考え方によってはこれほどリスキーな資産形成もない。

日本経済が破綻したら給料も仕事も無くなるかも知れないけど、海外資産を持っていればそれがライフラインになってくれるかもしれない。

そういった目的で海外株や外貨を保有している話を以前の日記に書いた。

同じような話になるけれど、まぁシリーズの最終回なのでまとめってことで。

日本円にこだわらない

円にこだわって貯金に固執しないで株式で運用してもいい。

今回のコロナショックみたいな一時的な価値の変動はあっても、逆に言えば安く買うチャンスでもあるわけだし。

その他、僕自身はメガバンクの経営方針に懐疑的だったりもするので、株式投資は経営理念に賛同できる企業を応援することにもつながると考える。

それでもこんな世界情勢なのでETFのような分散投資が望ましいとは思う。

国内資産にこだわらない

海外資産の保有も先に述べた理由で、生活を丈夫にするために有効だと思う。

株式ならやはりVOOとかS&Pみたいな分散投資ならリスクも少ないし有効。

外貨で資産を持っていたいって人はユーロ・ドルなど代表的なものならFX口座で簡単に購入することができます。

この辺の投資の話は真似してもらっても生活をしていく上では金額的に全然足りないと思うし、儲かる保証なんてない。

だけど銀行預金や生命保険ではない資産運用方法としてのこの方法は、今の自分の生活を強靭にするという意味において欠かせないものではある。

まとめ・幸せの尺度・文化は無意味なのか

最終回は主に「資本主義との距離の取り方」みたいなテーマで書いてきました。

この働かないシリーズを書いていて「興行資本に依存した業界にいるクセに何言ってんだ」みたいなことは結構言われました。

でも文中で何度も説明してきた通り、そもそも「遊びながらお金を稼ぎたい」と思って今の業界に入ったので、自分のしている稼ぎ方は割と理想に近いし矛盾もしていないと思っている。

それでもこれからのライフバランスとかを考えると改善の余地はありそうなので、これからも色々な遊び方を見つけて生活をより丈夫にしていきたい。

なんにしても人生はまだ続いていくので、思いついたことがあったらこのシリーズとしてじゃなくても書いていこうとは思っている。

僕はこれからも何かを新しく始めるかもしれないけど、なにもやめたりしない。

だからミュージシャンは音楽を止めないでほしい。

ダンサーは踊り続けてほしい。

絵描きは描き続けてほしいし、物書きも書きまくってほしい。

やっぱり僕はわがままなのかもしれない。

今回「資本主義との距離の取り方」について話を進めていく上で「幸せの尺度」みたいなことも考えてきた。

僕の生きているイベント業界っていうのは今回の新型コロナ騒動の中において「不要」であり「不急」の場所であると大々的に報道された。

未来やお金どうこうよりも、自分たちの仕事に対しての誇りがキズつけられたことにショックを受けている人が業界内にもたくさん居たと思う。

しかも世間の意見として、「娯楽や文化は生きていくのにに不必要なのだから、そんな仕事を選んでしまった人間の責任だ」みたいな言葉も多く目にしてきた。

じゃあ、僕ら生きている人間に本当に必要なものってなんだろうか?

ただ1秒でも長く呼吸することが生きる目的なのだとしたら、必要なものなんて食料だけってことになる。

本当にそう思える人がいるならば、病院でもどこにでも行って身体中に管を繋いで、生命維持だけしていればいい。

それでも人間の最も優しい発明である「人権」が生命の尊さを担保してくれるのだろう。

では、はたしてその状態で人は「生きていることは素晴らしい」なんて心の底から思えるのだろうか?

なんの楽しみもなく、意義も理由もない自身の呼吸の連続に尊さを感じることはあるだろうか?

生きること自体に必要性が無く、生命はもともと無意味なものだとしたら、不要であり不急なものこそがまさに「生きている意味」として人間に人間性を与えるのだと考える。

生きていること自体は無意味だからこそ、虐げられる人間を守るために人権はどうしても必要になってくる。

逆説的にも感じるかもしれないが、僕は人権に対してそういう理解でいる。

話を戻すと、確かに僕らの業界の仕事は今すぐに「命の役に立つ代物」ではないのかもしれない。

でも人間は命令されて動くだけの機械ではないのだから、不要・不急の文化は間違いなく豊かさの源泉であり、人間性の源だといえる。

生きて呼吸をすることと同じくらいに、人間にとって生きる理由があるってことは大切で、そんな風に考えれば様々な文化を守っている僕らは誰かの命を救っているとさえ考えることもできる。

人は簡単に他人の不必要そうに見えるものを取り上げて、社会はその人の人間らしさを取り除こうとするけれど、そんなのは精神上での殺人に値する行為で、最低の愚行だ。

ここまで書いといてなんだけれども、このブログはかなり個人的な感想を濃縮・凝縮したものになっていて、僕が関係している団体や組織の考え方とは全く関係はありません。

それどころか内容的にもおぼろげで、もはやまぼろしに近いくらいだ。真偽だって証明できない。

でもこの文章を読んで、誰かか何かを感じるのであれば、真偽なんて実際どうでもいい。

世の中には事実とか真相にしか興味のない人が多いけれど、僕はまぼろしで救われる人がいることだってちゃんと知っている。

まぼろしも現実も優劣なく価値があるのだとしたら、誰に何を言われたって自分の好きな方を選んでみんな勝手に幸せになればいいし、全員が勝手に助かればいいと思っている。

事実を詳しく知っていて頭がいいとか、まぼろしばかり見ていて頭が悪いとか、もうほんとうに全然どうでもよくって、

自分の人生に寄り添ってくれる家族・友達・先生・他人・文化・作品なんかに出会えることの方が人生に与えてくれる恩恵はめちゃくちゃに大きいし、まさにそれこそが他者的でない価値観の宝庫なのだ。

ネタバレをしてしまうと人生における豊かさっていうのは、単純に他者にとっては役に立たなくて・無駄なもので・必要でないもので・求められていない多様なものということになる。

そんな資本主義的にはなんの価値も持ち得ないものが存在を許されて愛情を注がれる。

それこそがまさに「豊かさ」の正体で、僕らの「生きる意味」なのだと考える。

近所の公園より

よく聞かれる「子供に教えてもらう」ってセリフの大半は、この「豊かさ」に関係していると思う。

子供の豊かさは偉大で、その素直さは本当に素敵だ。

自分のやりたいことをまっすぐに信じきっている。

他人の言葉だって、評価だっておかまいなし。

既存の理屈には決して屈せずに、ただただ自分の直感をたどってそれをやり遂げようとする。

お金や尊敬や市場価値には興味なんか示さない。自分を疑おうとしない。

ただただめちゃくちゃに遊ぶために、やりすぎなくらい迷いなく突き進んでいく。

期待やら落胆さえも、全身を使って世界に発信する。

おかしいくらいに単純。あらゆる全てがまるだし。

主人公はじぶん。

世界中のどんな子だって、主人公はこの世界にいるただひとりのじぶんだけ。

生まれたときに、無条件で愛してくれた人たちが自分にくれた名前が、

本当にそれだけが人間の「個性」だし、他者と比較し得ない「普通」なんだと思う。

そういえば私ゴトですがこの文章を書いている間に第二子が産まれました。

これからは長文のブログはしばらく書けなそうだし、外出も頻繁には出来なそうだけど、こんなご時世だし友達とは同じような頻度で連絡なんかはとっていきたいと思っています。(みんな連絡してね)

基本的には誰にどんな連絡をもらっても「こっちはそんなにヒマじゃない」みたいなことは言いたくないと思っている。

なぜなら僕の尊敬する人たちは基本的にいつもヒマそうだったし、今までの人生で出会ってきた徳の高そうな人たちもみんなヒマ人だったので。

あるいはヒマ人というのは単純にスタンスの問題で、僕はもっと人を多角的に見なくてはいけないのかもしれない。

これも人生における豊かさに関係しているのかもしれない。考えすぎかもしれない。

こんな風に世界も日本も自分も日々変わり続けているし、今の自分のやりたいこと・やるべきことが重要だと思っていて、もともとあった制度とか信念とか初心は割とどうでもよくなってきている。

それも含めて変わっていくということだし、変えていきたいと思っている。

過去に縛られて、身動きが取れなくなるようなら初心なんていらないでしょ?

というかこのブログの最初のほうで何を書いていたのかも思い出せない。わはは。

ということで文章を使用しての瞑想もそろそろ終わろうと思います。

これは瞑想だったんです。目はもともと細いんです。眠ってるわけじゃありません。

それではみなさま、よい人生を。

最後まで読んでくれてありがとうございました。おやすみなさい。

コメント

  1. […] これもこの前書いたけど結局結婚なんてものはいわゆる人間の発揮する豊かさによって支えられてきた制度でしかないのだから、資本主義社会において結婚制度が衰退していくのは当たり前なのかもしれない。 […]

  2. […] 以前の記事にも同じようなことを書いているけれど、くだらないことで自分を保っていられる人っていうのは自分のコントロールが上手い。 […]

  3. […] 恋心より現実の利害を取った方が得だというような現実主義的な考え方は、”豊かさ”の観点から見て問題があると以前の記事でも書いてきた。 […]

  4. […] 過去にないくらい筆が進まないので、今日は日記みたいな感じでちょっと前に書いていた”働かないシリーズ”の続編みたいなものを書いてみようと思う。 […]

タイトルとURLをコピーしました