子供たちとトトロを観た話〜このブログはただの日記なのか〜

考察してみた

今年の夏はトトロに会えた

帰省自体も自粛を求められるような記憶にないお盆になったけれども、僕は両家とも実家が近いこともあって普通に帰省した。

(それでも祖父母に会うことはなかったけれど)

例年通り、甥っ子や姪っ子たちとは賑やかに過ごす。

自分の子供が自分の幼少期を過ごした風景ではしゃいでいるのを見るのは、なんだか本当に不思議な気分だ。

毎年この時期に地上波で放送されるジブリ作品も、いつの間にか目線が主人公から、その周囲の大人たちの方へ変わっていることにも気付かされる。

今年はお盆期間中に「となりのトトロ」が放送されたこともあって、子供達が録画したトトロを夢中になって何度も観ていた。

その中でいくつか大人の目線になってから気付かされた作品の本質みたいなものを書き留めておこうと思う。

となりのトトロの概要・あらすじ

スタジオジブリより

一度もトトロを観たことがない・・・って人もいるのだろうか?

必要ないと思うけど、簡単に「となりのトトロ」の概要を説明すると、五月由来の名前の姉妹が田舎に引っ越してきて、森の精霊だか妖精のような存在の「トトロ」に出会ったりして一夏の不思議体験をする話。

時代背景は昭和30年代前半で舞台は当時の埼玉の所沢。

お父さんは大学で考古学を教えていて、お母さんは病気で入院中。

お母さんが入院している病院の近くに引っ越すため、一家3人で田舎暮らしを始めるわけです。

子供の時にだけ?不思議な出会いの矛盾を考察

スタジオジブリより

こーどーものときにーだけー

あなたにおとずれるー

ふしぎなであいー

先ほどの項で、五月由来の姉妹としか紹介しなかったが、長女が「サツキ」で次女が「メイ」である。

メイは作品では4歳児として登場するが、実際自分の周囲の4歳児と比べても幼すぎるくらいに幼いと思う。

僕の近くの年少・年中の子供達はみんな「トウモコロシ」とも「オジャマタクシ」とも言わないし、イヤイヤ期を過ぎていてメイよりは幾分か聞き分けがいい。

姉の学校に無理についていこうとしたり、何もない所で何度も激しく転んだりもしないだろう。

こんなメイが子供の時にだけ会える精霊のトトロと出会うのに疑問はない。

しかし姉のサツキとなるとワケが違う。

サツキは12歳の小学6年生として作品では描かれる。

朝の弱い父の代わりに家族全員分の朝食やらお弁当を作るなど家事全般をこなし、ワガママな妹の世話を日常的にし、母親との手紙のやりとりでも自分の苦労話よりも家族の話を優先したりする。

同年代のカンタと比べるまでもなく「聞き分けの良すぎる」お姉さんのサツキ。

大人と子供の違いを考えると長くなりそうなので省くが、環境的に母親役を担わされている思春期の入り口に立つ女の子を「精霊や妖精に出会う子供」に当てはめようと思うと、メイでは感じなかった違和感が出てくることに気付く。

トトロが現れた本当の理由を考察

スタジオジブリより

大人の感じた違和感を消すためにトトロはサツキの前に現れたと考える。

と言っても時系列的にはサツキとのファーストコンタクトはこの写真の時。

この時トトロはこう思ったに違いない。

「この子小学6年生なのにすごい・・・傘を忘れた父親を心配してこんな山の中のバス停に迎えに来るばかりか、ウトウトし始めた妹を背負って雨の中待ち続けるなんて・・・しかも爪の鋭い大型生物の僕にこんな便利なもの(傘)を気軽に貸してくれて、あまつさえ使い方までご教授してくれるなんて溢れ出る母性が半端なくて逆に怖いわぁ。」と。

そして後日、傘のお礼の木の実を口実にトトロは軍団(中・小)を引き連れて今度は自主的にサツキとメイの前に現れる。

コマに乗ってみんなで空を飛ぶ有名シーンですね。

トトロの胸に飛びつくシーンなどでも分かるように、トトロからの傘のお礼として渡された木の実をキッカケにして、サツキは急速に子供らしさを回復していく。

おばあちゃん(大人)の前で不安をぶちまけて号泣したり、気乗りせず家事をサボったりもする。

この辺のシーンは物語中では「異変」として扱われて、実際観ている子供たちはそのように受け止めていたりするのだが全然違う。

大人目線になると、子供は泣くし、サボったりする方が全然自然だ。

トトロは子供の時にだけ会えるのではなく出会った人間の「子供の権利」を回復させる精霊なのだと考える。

メイが居なくなって気付かされた事

スタジオジブリより

物語のクライマックス、メイが失踪する。

お母さんの病院から体調悪化に関する電報が届き、不安に駆られたサツキはメイと喧嘩をしてしまい、結果的にメイは単身で病院に向かい迷子になってしまう流れ。

夕刻、メイが帰らないことに気付き徐々に事態は大ごとになる。

集落を巻き込んでの大捜索が始まるが日没が迫り焦るサツキ。

この「メイが居なくなって大変」な状況になって、ようやくこの映画を観ていた人間たちは気が付く。

「この家庭・・サツキに頼りすぎじゃね?」

こんな状況の時の小学6年生の女の子は、大人に丁寧に頭を下げて電話を借りに行ったりしないし、裸足で夕方の砂利道を全速力で走ったりしない。

不安でどうしようもなくて、父親か母親か、それに準ずる保護者に身を委ねて泣いてしまうのが普通だろう。

周囲の大人の事情と環境のせいで、大人の振る舞いを求められたサツキ。

溢れ出る母性は、決して天然のものではなく「聞き分けの良さが自分の価値」との思い込みから生まれた悲しい産物だったのだろう。

時代背景があるとはいえ、それでも4歳児の命を背負うには12歳はあまりにも若すぎる。

「もう、どうしたらいいか、わからないの・・・」とサツキに言われたトトロはこう思ったに違いない。

「人間の大人・・・ちゃんとしろよー。」と。

となりのトトロ・考察まとめ

最終的にトトロがネコバスを呼んでメイが見つかり、お母さんもエンディングで元気なシーンが流れてハッピーエンドで「となりのトトロ」は終了する。

今年は子供たちと観ていたせいか余計に大人目線でのツッコミが多くなってしまった。(もちろん野暮な意見は言わない)

とは言っても大半は「僕がお父さんだったらどう行動するだろう?」って話だけど。

多分、この作品で宮崎駿が言いたかったことはこうだ。

「子供は子供のうちは子供でいていい」「私は子供の権利を絶対的に支持する」

子供は駄々をこねる権利があるし、聞き分けない権利も持っている。

サボる権利も持っているし、責任を持たない権利を持っている。

面白かったらメチャクチャ笑っていいし、不安なら超泣いてもいい。

子供の権利を守ったり尊重したりするのが大人だし、いわゆるトトロなのだ。

今年は子供たちとトトロに会えて本当に良かった。

目線が変わってしまっても、同じ作品を通じて同じ風景が観れることに感動しました。

どこかで子供が子供でいられなくなったその時は、どうかその子の横にトトロが現れますように。

スタジオジブリより

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